父がお世話になっている施設で
流行性胃腸炎が流行。
父ももれなく 嘔吐と下痢と発熱。
父は91歳
歩行器を押しながら
なんとか歩けているし
トイレも食事も介助なしで
元気に過ごしてくれている。
が、
アルツハイマーや脳梗塞や
年齢的なものから
「わかりました!
部屋から外出禁止ですね、
感染拡大を防ぐ為に仕方がないですよ」
この考えにどうしても至ってくれない
歩行器でガンガン 部屋のドアに
当たり散らして
怒りを表現しているそうで
電話の向こうから
「きゃあー ガラスが割れます〜!」と
叫んでいる職員さんの声がする。
6年前に脳梗塞で倒れ
肺炎で肺は真っ白け
心臓の入り口に大きな動脈瘤も抱えているが
手術できない場所で
破裂したら 救急車を呼ぶ暇もないらしく
理解ある主治医からは
食事制限して
好物のおまんじゅうを
禁止したその日に倒れたら
家族は後悔に苛まれるだろう
私なら禁止しないと思う
その日その日を本人が
幸せに生きられることを
大切にしてあげてほしい
そんなありがたいことを言ってもらい
特に何かを制限することなく
普通に過ごして5年
いたって 元気に過ごしてくれている
もちろん
施設の管理された美味しい食事や
規則正しい生活と
徹底された水分補給管理
日々の運動リハのおかげ
父がお世話になっている施設は
科学的な介護を勉強されていて
とても理にかなっているのが私は好き。
で、2、3日 自宅療養してもらえるかどうかの打診があったが
無理ですっ
自宅は段差だらけ
ベッドも2階
段差の先にある
トイレに何往復もする父に
全介助必要になる
5年前 初外泊で
不自由な体になって初めての実家
布団から立ち上がる時に
転倒して
尻餅をついてしまい
腰を骨折して
えらいことになった。
電話の向こうは
あぶなーい‼️ベッドに戻ってね‼️など
やはり悲鳴が聞こえてくる。
私がそちらに出向くことは可能ですか?
コロナ以降
部屋に入れないが
なんと許可が出た‼️
3年ぶりに父の部屋に入ったら
(母が亡くなった時以来)
防護服、手袋、靴裏消毒用の箱など
物々しい
まるでコロナ時の
完全防備の看護師さん2名が
なんとか
父の足の甲に
点滴をしようと奮闘してくれていた。
『じっとしててね!
これで楽になりますからね!』
異和感が先立ち
足で払おうとする
じっとしないので
私も参加して
3人がかり
点滴は1時間かかる
抜けないように 見張り役が私
違和感のある足の針を
もう片方の足で
払おうとするのを押さえ込み
「じっとしてて‼️」
を繰り返すが
耳が遠い父
「え❓」てなもんですよ
せっかちの私
だんだん イラついてきて
口調がきつくなり
しまいには
羽毛布団の上からではあるが
バンバン叩いて
「じっとする‼️」と睨む
耳元まで背伸びして
話してたら
足元から目を離すことになるので
動いたら
私が怒っているとわかるような
ジェスチャーをする為だ
そうして
ようやく点滴終了
「お父さん よく頑張ったね‼️」
「はー ありがとう
新しい職員さん?
べっぴんさんやのに なんで
この職についたんですか?」
「なーに言ってんの❓
私 ワタシ‼️」
と 防護用のキャップを取って
マスクをずらすと
「えーーーっ⁉️お前か⁉️」
父は いつも 優しくしてくれるヘルパーさんではなく
ガタイのでかい
おっかなーい職員さんが来たのだと
勘違いしてた模様
防護服とマスクで顔も見えないのに
べっぴんさんと つけたのは
今後 この人を怒らせてはまずい
と 思ったんだろなあ
笑笑笑
ちゃあーんと 考えてんだね!
隔離期間中に 無事に
92歳の誕生日を迎えてくれました。
夜中部門を3泊
姉が交代してくれ大助かり
弱ることなく
元の生活に戻った
たくましい父
防護服は着ていたものの
かるーく下痢と胃痛はもらってしまったけど
次は 孫の結婚式に参加したいという
願いをどう叶えてやるか
遠距離介護から
夫婦別居の実家Uターン介護生活に
突入して
三月で丸5年。
色々あって
ようやく 心穏やかに 接することができるようになった。
長生きしてね