みなさま、こんばんわ🌜

ご機嫌いかがですか😉❓

 
⭐ おばちゃんの古時計が止まった

おばあちゃんの古時計(左)と新しく購入した時計(右)

洗面所の壁にかけてあった掛け時計(左)が壊れてしまいました💧

電池を2回代えましたが、ものすごく遅れています。

 

仕方なく、新しい時計(右)を中古で購入しました。

すごい安かった(送料込みで600円程度)し、どちらかというとお高い部類に入るセレクトショップの Afternoon Tea だし、これは期待できると思って買いました😉

電池を入れると、Afternoon Tea の時計はバッチリ動き出しました👍

 

洗面所の時計は、もともとは和室で 祖母が使っていた時計 でした。

祖母が亡くなって使う人がいなくなり、洗面所に流用して使っていたのでした😅

⭐ 私のおばあちゃん
 

🍀 大好きな祖母

私は 祖母が大好き でした。

祖母は母方の祖母です。

両親が離婚して、父が去った後、母方の祖父母といっしょに暮らしていました。

 

祖母は2015年に、95歳 で惜しまれつつあの世に旅立ちました。

大往生したと言えるでしょう。

 
🍀 かわいがってくれた祖母

1986年 七五三(祖母67歳)

祖母は私と弟をすごくかわいがってくれました。

母は結婚してからもずっと、結婚前と同じ職場で働いていたので、私と弟の面倒は主に祖母が見てくれていました。

祖母は私にとって 母親のような存在 です。

保育園に迎えに来てくれるのも、夕食を作ってくれるのも、いつもおばあちゃんでした。

祖母が私たちを育ててくれたようなものです😊

私の両親は、私が小学校2年の時に離婚しました。

私の母親は、私が小学校を卒業するまでずっと うつ状態 でした。

当然その状態では子育てなんてできないので、今で言う ネグレクト の状態でした。

祖母がいてくれたおかげで私と弟は何とか生き延びることができましたが、祖母がいなかったらと思うとかなり危なかったような気がします💧

私が今日元気でいられるのも、ひとえに祖母のおかげなのです😊

🍀 祖母は大正8年生まれ

1961年(祖母42歳)

祖母は大正8年(1919年)大阪生まれです。

先祖を遡ると、兵庫県淡路島にたどり着きます。

1919年と言えば、アメリカでは禁酒法が制定され、インドではマハトマ・ガンディーが非暴力・不服従運動を開始し、中国では孫文が中国国民党を結党した時代です。

⭐ 祖母の人生と20世紀の主な出来事

1919年(大正8年) 0歳 祖母誕生 アメリカで禁酒法制定
インドでサティーヤグラハ開始
1926年(昭和元年) 7歳 尋常小学校入学 昭和天皇即位
1929年(昭和3年) 10歳 尋常小学4年生 世界大恐慌
1931年(昭和6年) 12歳 尋常小学6年生 満州事変勃発
1939年(昭和14年) 20歳 大阪で就業中 第二次世界大戦勃発
1941年(昭和16年) 22歳 大阪で就業中 太平洋戦争勃発
1945年(昭和20年) 26歳 大阪で就業中 大阪大空襲・終戦
1947年(昭和22年) 28歳 祖父と結婚 マーシャル・プラン合意

その後、祖母が7歳(1926年)の時に 昭和天皇が即位 され、10歳(1929年)の時に 世界大恐慌 が起き、12歳(1931年)に 満州事変 が起こりました。

20歳(1939年)の時に 第二次世界大戦 が、22歳(1941年)に 太洋戦平争 が勃発しました。

祖母は戦中に、B29から降り注ぐ焼夷弾をかわし、大阪が焼け野原になった大阪大空襲を辛くも生き延び、家族のために汽車に乗って和歌山までサツマイモを買い出しに行って食糧難をしのぎました

戦後に28歳(1947年)で祖父と結婚、34歳で母を出産しました。

動乱の時代なので、母を出産してからも祖母の苦労はまだまだ続きます。

戦前・戦中・戦後を駆け抜けた激動の人生 でした。

🍀 みんなに慕われるおばあちゃん

2012年(祖母93歳)

ひ孫を抱っこ(祖母92歳)

戦前・戦中・戦後を駆け抜けた祖母の人生は、すごく大変だったと思います。

祖母が青春時代を過ごした時代は日本もまだまだ貧しく、祖母は高等小学校を卒業した後、14歳ですぐに就職しました。

職業婦人というわけではありませんでしたが、55歳で定年退職(1970年代は55歳定年)するまで働きづめの人生でした。

 

やっと娘(私の母)が結婚して肩の荷が降り、孫ができたと思って喜んでいたら、今度は娘が離婚し、孫の面倒を見ることに。

高齢になってから、突然私と弟の面倒を見ることを引き受けることになって、祖母は私や弟には何も言わなかったけど、本当はすごく大変だったと思います。

 

いつも家族のために必死で働き、家族を献身的に温かく支えてくれたので、家族や周囲の人々からはとても慕われていました。

私は今でもそんな祖母のことが大好きです😊

⭐ 故人の遺品は少しずつ失われていく

今年は祖母の7回忌です。

大好きな祖母が亡くなってから、既に6年が経とうとしています。

本当は祖母がいなくなっても、祖母の持ち物はいつまでも大切にとっておきたい。

でも、祖母の動かなくなった時計のように、持ち主がいなくなって月日が経つと、残された遺品もこうして1つ1つ失われていくんだなぁと思いました。

祖母の時計が壊れてしまって、少し寂しい気持ちになりました😌

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました😄

また来てね~😄👋