二代さまが昭和35年(1960年)還暦を迎えられたのをお祝いして、翌年7月に『わがおしえおや』が教学部長北村龍夫先生を中心に編集発行されました。
書名の『わがおしえおや』の題字は北村先生自身のもので、特徴ある銀一色の装幀は当時教学部におられた三松荘一先生によるものでした。三松先生はたしか歌人窪田空穂先生のお弟子さんだったと思います。
この『わがおしえおや』の巻末に二代さまの日記の一部が抜粋され掲載されています。「おしえおや日記抄-大正5年(16才)より10年まで-」との標題の下、抜粋は26頁に及んでいます。
その「まえがき」に「ひとのみち事件発生後、このおしえおや青年時代の日記は当局に押収され、その原本はついに失くなって了った。毎日を克明に毛筆で書かれていたので、この原本が失くなったことはまことに残念である。しかし裁判中当局の押収した日記原本を謄写したものが今日現存しているのは不幸中の幸というべきか」とあります。日記原本はすでになく、謄写したものを基に『わがおしえおや』に掲載したとのことでした。
ところが、実は当局から返還されていた日記の原本がその後見つかっているのです。現在、私の手許にあり、整理中であることは、平成28年6月8日付と9月13日付のこのブログにも書いたとおりです。
とても興味深いのは、大正5年9月13日の日記です。
『わがおしえおや』と原本、両方の日記をご覧ください。
原本に貼付されている「御木徳一(ハル)」と「御木徳近(チカ)」の2枚の紙片は幽祖(かくりおや)さまご自身の直筆なのです。
これこそひとのみち教団、PLの教えの原点にほかなりません。
「名に因って道がある」の教えがここにはっきりと目に見える形となって現われているのです。



