御木白日のブログ

御木白日のブログ

学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

 父、御木徳近師が亡くなって41年が過ぎました。

 

 しかし、私の隣には常に父がおります。父亡き後、すでに41年も経っていることを不思議に思うくらいです。何をさせていただいても父と一緒という気持ちと共にあるのです。

 

 「PL」御木徳近遺徳顕彰会ができまして2年になりますが、この会には二代さまのみたまが息づいていることを忘れてはなりません。

 

 この会に参加することにより、二代さまのお徳に浴することができるのです。一人でも多くの方にこのことを知っていただきたいのです。

 

 皆さま方の誠の献身により、「PL」御木徳近遺徳顕彰会を大きくしていくことは、二代さまのお徳を大勢の方に知らしめることになり、それだけみたまの働きが強く大きくなるのです。神は拝めば拝むほど、その神威を増し、いただくご加護もそれだけ大きくなるのです。

 

 神は鏡です。

 

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宗教問題特集サイト「宗教記事特集」

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1.金田徳光師(徳光教の初代教祖)の教えが御木徳一師(ひとのみち教団の初代教祖)の教えへと発展し、それが御木徳近師(PL教団の初代教主)の教えへとさらに発展したのです。

 

2.徳光教、ひとのみち教団、PL教団という3つの教団は、本来別々の教団です。それぞれの教団の教義も同じではなく別々のものです。

 しかし、「みしらせ、みおしえ」の教えを教義のバックボーンとしていることにおいて、この3つの教団は一致しているのです。

 そのため御木徳近師は昭和30年(1955年)3月13日に、この3つの教団を1つの教団の如く捉え直し、〝この教え〟と呼び「〝この教え〟においては代々教祖が顕れる必要がある」という独特の教義を明らかにしたのです。

 

 この教義において、徳光教の初代教祖金田徳光師は「幽祖」(ゆうそ、かくりおや)と位置付けられ、ひとのみち教団の初代教祖御木徳一師は「初代教祖」に、PL教団の初代教主御木徳近師は「二代教祖」とそれぞれ位置付けられたのです。

 

 ちなみに、御木徳近師は、ご自分が〝この教え〟の「二代教祖」として顕れたのは、昭和11年(1936年)9月27日に行われたひとのみち教団の二代教祖継承奉告祭によってひとのみち教団の二代教祖に就かれた時ではないし、昭和21年(1946年)9月29日のPL教団立教の時でもなく、昭和22年(1947年)9月29日PL処世訓21ヶ条を神授かった時であると語っておられます。

 

3.私が御木徳近師を「二代教祖」とお呼びしているのは、〝この教え〟における「二代教祖」のことです。昭和11年(1936年)9月27日に行われたひとのみち教団の二代教祖継承奉告祭によって就かれたひとのみち教団の二代教祖のことではないことを念のため申し上げておきます。御木徳一師を「初代教祖」とお呼びするのも、ひとのみち教団の初代教祖のことではなく、〝この教え〟における「初代教祖」のことです。

 

4.〝この教え〟のバックボーンになっている「みしらせ、みおしえ」の教えがもし無くなるとすれば、当然に〝この教え〟の教義は自然消滅し、〝この教え〟を前提とする「代々教祖が顕れる必要がある」の教えも自然消滅するのです。すでに「みおしえ」を行うことを止めてしまった現在のPL教団は、そのような状況に陥っています。現在のPL教団からは〝この教え〟の教義も、「〝この教え〟においては、代々教祖が顕れる必要がある」の教義もすでに消滅しているのです。

 

 私は貴日止教主の晩年「今一番なさりたいことは何ですか」とお聞きしますと、「祐祖を作ったことがないから、祐祖を作りたい」とおっしゃるので、「それは難しいことですね。〝我無し〟の心境ができないと無理ですね」と申し上げると、「ああ、そうですか」と考え込んでおられました。

 

 私は現在も会員さんから「みおしえ願い」を受けて「みおしえ」をさせていただいています。これは私が二代教祖より教えられ、命じられていることです。また、貴日止教主には「祐祖解任」のあとも、「みおしえ」をさせていただいていることをお話しておりました。貴日止教主は「あっ、そうですか。よろしくお願い致します」と申しておりました。

 

 私は二代教祖と貴日止教主の意を体して、このたび、PL教団に「みおしえ」を、そして正しいPLの教えを取り戻すために、4月6日教主として立つ決意を表明いたしました。これ以外にPL教団を救う道があるでしょうか。

 

 PL教師の皆さん! PLの会員の皆さん! PLの正しい教え、それは二代教祖の「人生は芸術である」の教えであり、幽祖、初代教祖、二代教祖と続く「みしらせ、みおしえ」の教えであることを思い出して下さい、思い起こして下さい。

 

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 4月19日『フランケンシュタインの誘惑』という科学番組をNHKBSで見ました。

 

 生成AIで作られた著名人の顔が本人そっくりで、それが悪用されて多くの被害者が出ているという話から始まりました。生成AIの専門家は、「よく似ているがどこかオカシイ」という印象があった。よくよく見ていたら、目がまばたきをしていないことに気付いたというのです。そして、まばたきをしないことを基準とした、生成AIによるニセモノであると見破るソフトを開発して、フェイクを退治できたというのです。

 

 ところがそれでメデタシ!メデタシ!ではなかった。しばらくして、まばたきをする生成AIが開発され、せっかくのソフトが使いものにならなくなってしまった。現在、そのようなイタチごっこが止まらなくなっているというのです。

 

 この問題の行き着くところは、フェイクが横行することではない、ホンモノに対する信頼が根本的に揺らいでしまったことにあるというのです。ホンモノが逆にフェイク、ニセモノではないかと疑われることになってきているのです。

 

 ホンモノとフェイクを区別することが原理的に不可能な世界に私たちは入り込んでしまったらしいのです。それは人間のあらゆる営みから意味と価値を奪い取ってしまいかねない時代の到来です。おそろしいことです。