※文中敬称略
PL教団(パーフェクトリバティー教団とのちに改称)の理事長や理事、評議員を決めるのは、PL教団の「教主」です。「教祖」ではありません。
1 PL教団の組織のトップとして存在しているのは「教主」です。PL教団の組織に「教祖」は存在していません。
御木徳近はPL教団の立教者でPL教団の初代「教主」です。二代教主は御木徳近が継承者と定めた御木貴日止です。御木貴日止は継承者を定めず亡くなり、理事会が怠慢なため三代「教主」はいまだに決まっていません。
御木白日はPLの教えを守り、PL教団を守るために、三代「教主」として立つことを宣言しました。
2 PL教団の「規則」はPL教団の組織について次のように定めています。「規則」は会社であれば「定款」にあたるもので、文部省(今の「文部科学省」)の認証を受けているものです。
(1)〝「教憲」で定められている「教主」〟が、PL教団の理事や理事長を決めるのです。
(2)「教団の財産はすべて会員のものである」との御木徳近の宣言を「規則」に反映させていた「全国奉仕員会連盟」(「全奉連」)を現在の教団はいつの間にか失くしてしまう「規則」の変更を行っています。
(3)PL教団の「目的」は「御木徳近立教の本義に基づき〝人生は芸術である〟の教えを世に広める」ことです。現在のPL教団はこの「目的」をおろそかにしています。現在のPL教団の内部では、「御木徳近の教えを尊重することはない」「教科書が変わったのだ」と言っているようです。
(4)「教祖」という言葉が「規則」に出てこないのはもちろんのことです。
3 PL教団の「教憲」は「教主」について次のように定めています。
(1)「初代教主は立教者御木徳近である」
(2)「教主はその継承者を定める」
(3)「継承者の定めないときは、理事会で継承者を推挙する」
(4)「教祖」という言葉が「教憲」にも出てこないのはもちろんです。
4 では「教祖」はPL教団のどこに存在しているのでしょうか。
「教祖」はPL教団の組織の中に存在するのではなく、立教者御木徳近が説いた教義の中に存在していたのです。
昭和30年(1955年)3月13日、PL教団の本部を現在の大本庁に移す慶事を祝する祭典において、立教者御木徳近初代「教主」が明らかにされた〝代々「教祖」が顕れる必要がある〟との御木徳近独特、独自の教義の中に存在していたのです。
(1)〝代々「教祖」が顕れる必要がある〟「教祖」としてまず顕れたのが金田徳光です。金田徳光は徳光教の立教者で、徳光教の初代教祖でした。「みしらせ、みおしえ」の教えは金田徳光に始まります。
(2)〝代々「教祖」が顕れる必要がある〟「教祖」として次に顕れたのは御木徳一です。御木徳一は、ひとのみち教団の立教者で、ひとのみち教団の初代教祖でした。金田徳光に託された「教訓3ヶ条」を授かることにより「みしらせ、みおしえ」の教えについての金田徳光の正統な継承者として顕れたのです。
(3)〝代々「教祖」が顕れる必要がある〟「教祖」としてその次に顕れたのは御木徳近です。御木徳近はPL教団の立教者でPL教団の初代「教主」です。昭和22年(1947年)9月29日「PL処世訓21ヶ条」を授かることにより「みしらせ、みおしえ」の教えについての御木徳一の正統な後継者として顕れたのです。
以上のような宗教上の事実、事件を基として、御木徳近は昭和30年(1955年)3月13日〝代々「教祖」が顕れる必要がある〟の教義を明らかにされたのです。
この教義の前提には、徳光教、ひとのみち教団、PL教団という「みしらせ、みおしえ」の教えを基盤とする3つの宗教団体が歴史的に存在して来た事実があるのです。そして、この教義における「教祖」とは、「一教の立教者であり、その初代」なのです。
(4)〝代々「教祖」が顕れる必要がある〟「教祖」は御木徳近以後顕れていません。
PL教団の教えを超える「みしらせ、みおしえ」の教えに連なる教えを説く方が新たな教えの初代となるとき、その方が三代「教祖」として顕れることになるのです。御木徳日止は嗣祖として、御木貴日止は攝事祖として御木徳近によって三代「教祖」を期待されたのですが、現実の三代「教祖」として顕れることはありませんでした。現在の教団は今も「PL教団」と名乗っています。「PL」を名乗っている以上は、御木徳近初代教主を継ぐものはPL教団の二代「教主」であり、PL教団の三代「教主」、PL教団の四代「教主」なのです。仮に「この教え」におけるPLの教えを超える三代「教祖」が顕れているのであれば、もはや「PL」を名乗っていることはあり得ません。PL教団とは違う「⚪︎⚪︎教団」とか名乗っていることでしょう。そして、「この教え」における四代「教祖」が顕れているのであれば、PL教団でもない「⚪︎⚪︎教団」でもない「××教団」とか名乗っているはずなのです。「一教の立教者であり、その初代」であるという「教祖」の定義からして当然そうなるのです。
この3つの宗教団体を御木徳近はあたかも一つの宗教団体のように捉え直して「この教え」とか「本教」とかと呼び、「この教えにおいては」、「本教においては」、過去において、代々「教祖」が顕れて来たし、未来においても代々「教祖」が顕れる必要があると説いたのです。徳光教を超えたひとのみち教団が顕れ、ひとのみち教団を超えてPL教団が顕れたように、PL教団を超える教えを説く「教祖」が顕れる必要があると御木徳近は説いたのです。
5 「この教え」の過去を振り返って御木徳近は、金田徳光(徳光教の立教者で徳光教の初代教祖)を「この教え」における〝幽祖〟(ゆうそ、かくりおや)と呼び、御木徳一(ひとのみち教団の立教者でひとのみち教団の初代教祖)を「この教え」における〝初代教祖〟と呼び、御木徳近(PL 教団の立教者でPL教団の初代教主)自身を「この教え」における〝二代教祖〟と呼んだのです。御木徳近はPL教団の二代教祖ではないのです。PL教団の組織に「教祖」は存在していません。
また、御木徳一を「初代教祖」とお呼びするときには、ひとのみち教団の初代教祖の意味なのか、「この教え」における〝初代教祖〟の意味なのかどちらなのかに注意しなければならないのです。
そこで誤りますと、「PL教団の初代教祖は御木徳一である。御木徳近はPL教団の二代教祖である」というような誤った滑稽な表現をする人が出てくるのです。現にそのような表現をしたメディア報道を目にしたことがあります。
また、「この教え」とか「本教」という言葉をたんに御木徳近立教の「PLの教え」の意味で使うこともあるので注意しなければなりません。一つの言葉が複数の意味を持っていることに注意しなければならないのです。
6 「この教え」の未来に向けて、御木徳近は、昭和34年(1959年)12月8日〝嗣祖〟の教義を〝代々「教祖」が顕れる必要がある〟の教義の重要な一部として明らかにされたのです。「この教え」の〝三代教祖〟として顕れるとの期待を籠められた御木徳日止が〝嗣祖〟とされました。しかし御木徳日止が期待された〝三代教祖〟として顕れることはありませんでした。
御木徳近は昭和54年(1979年)9月2日、「この教え」の〝四代教祖〟として顕れるとの期待を籠めて御木貴日止を〝攝事祖〟としました。
これを機に起こった「嗣祖事件」によって、御木徳近は、〝代々教祖が顕れる必要がある〟の教義の重要な一部となっていた〝嗣祖〟の教義を昭和55年(1980年)4月30日に廃止してしまいました。これによって、この教義の半分が失われ消滅しました。御木貴日止は〝嗣祖〟とされることなく、〝攝事祖〟のまま〝三代教祖〟として顕れることを期待されたのです。
「教祖」が顕れることは、宗教上の事件であり、事実(fact、ファクト)の問題です。顕れているか、それとも顕れていないかという宗教上の事実の有無の問題です。継承されてできるとか任命されてできるとか、人為、人の行為によってできるものではないのです。「みおしえ」と「祐祖」の関係も同じです。「みおしえ」ができるから「祐祖」なのであって、「祐祖」であるから、「みおしえ」ができるのではありません。「みおしえ能力」という宗教上の能力の有無という事実(fact)にすべてかかっているのです。御木白日は昭和36年(1961年)12月31日にPL教団の初代教主で、「この教え」の二代教祖である御木徳近によって「みおしえ能力」があると確認され、以後、現在も「みおしえ」をしているのです。
御木貴日止教主は〝嗣祖〟を定めることも〝攝事祖〟を定めることもなく亡くなりました。〝代々「教祖」が顕れる必要がある〟の教義に近づくことはなかったのです。ご自身が三代教祖と期待され予定されていたが、現実に三代教祖として顕れることのなかったことを自覚しておられたのです。
御木貴日止教主が、美智代夫人とお伴の教師と共に御木徳近時代の教主邸(「御木徳近記念館」)に御木白日を訪ねたとき、御木白日が「あなたは教主を継がれたが、『教祖』にはなっておられないのですよ」と言ったのに対して「分かっています」と言われています。また御木白日が「あなたはどのようにして祐祖になられたのですか?」と問うたのに対して、美智代夫人は「清島先生が、なれ!なれ!と言われたのでなりました」と言っています。御木貴日止教主のおられるところで、そのように語られたのです。美智代夫人は御木貴日止教主の存在などすでに眼中になかったのです。
御木貴日止教主は〝嗣祖〟も〝攝事祖〟も定めることなく亡くなりました。「教祖」および「教祖」継承について、ふれることもなく亡くなりました。これによって〝代々「教祖」が顕れる必要がある〟の教義の残り半分も消えてなくなったのです。現在、この教義はすでに完全に消滅しているのです。
「四代教主」とか「四代教祖」とかを云々することは無意味、ナンセンスなのです。
7 それにもかかわらず、現在のPL教団は「四代教祖が顕れるのをお待ちしている」などと「教祖」にこだわっています。
それには理由があるのです。二代「教主」三代「教主」四代「教主」であれば、立教者で初代「教主」の御木徳近が絶対的存在です。初代教主の教えをつまみ食いしたり、改ざんすることはできません。また初代教主の尊厳を傷つけたりすることも許されません。
しかし三代「教祖」四代「教祖」であれば、前の「教祖」と同等であるというわけです。それが御木徳近の教えを貶(おとし)め、御木徳近の尊厳を傷つけたい現在のPL教団が「教祖」にこだわる理由であり、こだわらざるを得ない理由なのです。
このように立教者にして初代教主の御木徳近を軽視する現在のPL教団の誘導、誤導、マインドコントロールに会員の多くの方々ばかりか多くの教師の方々までが捕らわれているのは残念なことです。
8 おわかりいただけたでしょうか。PL教団の組織のトップは「教主」です。
「教祖」はPL教団の組織のどこにも存在していないのです。
立教者御木徳近が初代教主です。
二代教主が御木貴日止です。
現在のPL教団が御木貴日止二代教主を呼ぶのに、二代「教主」ではなく三代「教祖」だと言い張るようになったのは、硬膜下血腫で倒れられてのち、美智代夫人が御木貴日止二代教主を押しのけてPL教団の実権を握ってからのことです。このように教義をねじ曲げ、PL教団の私物化の便宜として用いられている「四代教祖」などという偽りの言葉に惑わされてはならないのです。