御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

 このたび『PL処世訓解説』を出版することになりました。

 

 「第1条 人生は芸術である」で始まり「第11条 一切を神に依れ」から「第21条 真の自由に生きよ」に至るPL処世訓21カ条は、PLの教えの中心であり基本です。

 

 PL処世訓をテーマに勉強会を長年にわたって重ねてまいりました。多くの方々に参加していただいてきました。その成果の一つでもありますが、400頁ほどになっています。

 

 本年2026年は、PL教団立教80周年でございます。また発行日の5月29日は、奇しくもPLの教えの立教者で初代教主の御木徳近日知が「祖遂断」神事を授かられた日にあたります。

 

 このように佳き年、佳き日に『PL処世訓解説』を上梓できますことは、このうえなくありがたく楽しいことでございます。

二代さまが昭和35年(1960年)還暦を迎えられたのをお祝いして、翌年7月に『わがおしえおや』が教学部長北村龍夫先生を中心に編集発行されました。

 

書名の『わがおしえおや』の題字は北村先生自身のもので、特徴ある銀一色の装幀は当時教学部におられた三松荘一先生によるものでした。三松先生はたしか歌人窪田空穂先生のお弟子さんだったと思います。

 

この『わがおしえおや』の巻末に二代さまの日記の一部が抜粋され掲載されています。「おしえおや日記抄-大正5年(16才)より10年まで-」との標題の下、抜粋は26頁に及んでいます。

 

その「まえがき」に「ひとのみち事件発生後、このおしえおや青年時代の日記は当局に押収され、その原本はついに失くなって了った。毎日を克明に毛筆で書かれていたので、この原本が失くなったことはまことに残念である。しかし裁判中当局の押収した日記原本を謄写したものが今日現存しているのは不幸中の幸というべきか」とあります。日記原本はすでになく、謄写したものを基に『わがおしえおや』に掲載したとのことでした。

 

ところが、実は当局から返還されていた日記の原本がその後見つかっているのです。現在、私の手許にあり、整理中であることは、平成28年6月8日付と9月13日付のこのブログにも書いたとおりです。

 

とても興味深いのは、大正5年9月13日の日記です。

『わがおしえおや』と原本、両方の日記をご覧ください。

原本に貼付されている「御木徳一(ハル)」と「御木徳近(チカ)」の2枚の紙片は幽祖(かくりおや)さまご自身の直筆なのです。

 

これこそひとのみち教団、PLの教えの原点にほかなりません。

「名に因って道がある」の教えがここにはっきりと目に見える形となって現われているのです。

大正5年9月13日徳近の日記

大正5年9月13日徳近の日記

大正5年9月13日徳近の日記

大正5年9月13日徳近の日記

 徳近日知はPL教団の立教者で、その初代教主です。そして、ひとのみち教団の二代教祖でした。

 

 さらに御木徳一日知とともに徳光教の教師で、金田徳光日知より、それぞれ「徳一」「徳近」の名をいただいているのです。徳光日知は、自から「徳一」「徳近」と書かれた名札を両名に授けられましたが、その2枚の名札を徳近日知はご自分の日記に貼付していました。

 

 この日記の原本は、ひとのみち教団事件のとき、当局に押収されていたので現存しないと考えられていたようです。ところが実は返還されていて、徳近日知の手許に保管されていたのです。私はその日記のカラーコピーをこのブログに掲載したことがありました。

 

 このように徳光教、ひとのみち教団、そしてPL教団という3つの宗教団体の教えの精髄が御木徳近日知その人の一身に集約されているのです。だからこそこの3つの宗教団体を「本教(この教え)」と捉えることも可能でしたし、自らをPL教団の初代教主であるとともに「本教(この教え)」の二代教祖であると自己規定することもできたのです。ここにおいては「教主」「教祖」の区別なども論ずるまでもないことでした。

 

 ニーチェの著書『この人を見よ』ではありませんが、御木徳近日知という方が、目の前におられる限りすべてはその具体的人格の中に統合、体現されているのですから、ことさら論ずることは何もなかったのです。

 

 でも、そのような目に見える人格がこの世から消えてしまったならば、そうはいきません。「教主」と「教祖」について言葉による解説、説明が必要になってくるのです。