・・夜明けの空アート・・
 
出産でお休みしていた生徒が、
赤ちゃんも一緒にレッスンを再開する。

「時間は無いではなく、時間は作るもの」とよく言われるが、
彼女の時間の作り方は、幼少の時から天才的だった。
いつも感心し尊敬の眼差しでみている。
 
彼女は、自分の思い描いた将来の姿に向かって
自分のペースで、最大限の努力をずっとしてきた。
人の役にたてる仕事をしたい、生涯続けられる仕事に就きたいと
大学進学も在学中も、その道への準備を着々と進め、
卒業する頃には国家資格も取得。
仕事だけではない自分の世界を持つ大人になりたいと
ピアノも続けている。
結婚は尊敬でき互いに尊重できる人、料理は必須・・
住まいはグランドピアノと共に暮らせる家・・・云々。
 
見事と言えるほど、
彼女は「こうなりたい」という自分を実現している。
お母さんの姿を見ながら育つ子供、どんな親子に成長していくのか楽しみです。
レッスンの曲はベートーヴェンソナタ熱情とバッハインベンション。
 
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働く人とは、どこかにお勤めすることだけではない。
生きる上で必要な様々なこと、家事も育児も、病とどう向き合うのか・・・
様々なことを、どう捉えるか、生きるかが、
その働きぶり(生き方)に現れるのではいかと思う。
 
 
早朝4時過ぎの光景。
1000坪ほどの家の敷地の手入れと水やり
1000坪ほどの茶畑の草取り・・
日が昇る前に済ませておきたいというお茶屋さん。
くの字に曲がりつつある腰でも、スムーズに動く身体。
自分の仕事を黙々と、何十年も・・・
毎朝姿を見ながら、心の中で密かに尊敬していた人と
初めて言葉を交わす。

仕事がなんであれ、たとえそれが家の中のことであっても、
自分の仕事に、することに、流儀がある人は、
見ていて話していて、とても心地よい。

私の母は
「文句を言う前に 手を動かしなさい。身体を動かしなさい」
「愚痴は、愚痴を言う暇がある人なのです」
っと、よく言っていた。

大人になって「確かに」と思う。
問題は問題を解決できない自分にある。
何事も、道筋が見えるようになれば、解決できないことなどないのかもしれない。
周囲のせい、何かのせい、と問題が外にあると思っているうちは、
愚痴も文句も減らない。
手を身体を動かそう・・視界はどんどん開けてくる。
 
お茶屋さんとの会話の中に、母の仕事の流儀を垣間見た朝だった。
 
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安藤広大さん
円卓コンフィデンシャル・・・テレビ東京・日曜の朝の番組より

様々な分野の方々の意見が聞けて、とても面白い番組。
ピアノ教室や演奏家は、自由業でもあり個人事業主でもある。
企業の名や仕事の内容に関係なく、
見える道筋というのもは似ていて面白い。
安藤広大さんの信頼についての意見は、興味深かった。
早速、初めてのビジネス書を手にして、
数行読んだだけでも、首を何度も縦に振るほど面白く、
この先も楽しみだ。
 
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最後に・・長田英史さん
長田さんの投げかける疑問は、私が日々疑問に思うことと似ている。
とてもしっくりくる言葉の数々に、この人すごいなあ・・と思いながら
ここ数日で、いくつもの記事を読んでいる。
 
その中から・・
 
「 常識とはあなたに侵入した誰かの考え」という記事から
 
常識とは、自分の内側から湧き起こるものではなく、
生まれた後に身に付けたものです。後天的なものであり、
宿命的に生まれた国や地域の文化、親や養育者、その時代の影響などを受けています。
そして、それらはいずれも「誰かの考え」であり「過去の(既存の)考え」です。
常識的な人間になれば幸せになれるかというと、そうではないことに多くの人が気づいています。
最初は守護者として登場した常識が、後に看守のようになり、
常識の檻の中に閉じ込められてしまうからです。
 
本当に「自分自身の考え」なのか、
それとも自分のものだと思い込んでしまっている「誰かの考え」なのか、
その見極めはとても難しいと思うのです。
 
「なぜ、これが常識なのだろう? いつから、どんな理由でそう言われているのだろう?」
その常識を、じっくり吟味してみてはいかがでしょうか。
きっと「自分なりの考え」を確立するきっかけになるはずです。
自分らしく生きるには、自分で自分を知る必要があります。
 
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できることは自分で、自分の仕事は自分で見つけよう。
身体を動かそう、手を動かそう・・働く身体で自分の仕事をしよう。
生きるとは、「生きる」という仕事であり、どう生きるかは働き方しだい。
そしてそれぞれが自分というアートを完成させる。
働くとは、自分の思考を育てることでもあるのだと、思う。