何かを始めるときに'モテそうだからやろう'と考えて始める方は多いかと思います。(特に男性には)
はじめるキッカケは何でもいいのですが、モテたいからという理由のままで続けると、大したものが出来ません。
言い方を変えると軽く、薄いことしか出来なくなってしまいます。
それは'モテたいから'という動機そのものが軽く薄いからです。
電子機器ではないので軽く薄いことに価値を感じるでしょうか?
'軽く薄い人'。
あまり良い響きではありません。
次に'人のためやる’となるでしょう。
そうすると、少しレベルが上がります。
自分のためだけにやる人より人のためにやる人の方が良く映ります。
狭い範囲での話なら良いのですが、社会があり、世の中があるので、特定の人のためだけに続けるにも限界が来ます。
特定の人のために、会社、仕事、趣味など全てをおろそかに出来るものでしょうか?
そのような気持ちになってまで大切に想う人がいることもあるかもしれませんが、現実としてそれだと上手く続かないと思います。
ではより良いもの、よりレベルの高いものとなるとなんでしょうか。
'人類のため'ともなるでしょう。
私たちは人間として生きてます。だから人間のために貢献すれば充実感を得られると思います。
しかし'人間'というのは実はかなり不安定な存在です。人間は間違いを犯します。間違いのまま突き進むこともあります。
すぐ心変わりもします。
現実に人々の間では、「自分のことをおろそかにして違う人ばかりえこひいきするな」「人類を平等に扱え」という議論が絶えません。
どこまでが人間のためなのか、人間の知恵では分かり得ないところがあるんです。
では他になんでしょう?
’地球のため、大自然のため’
自然は、人がいなくても成り立ちます。
逆に人は自然がなければ生きていけません。
では自然そのものになぜ人の意識を加える必要があるのか?
自然のままで良ければ、人の頑張りは必要ないのでは。
でも原始人の暮らしは出来ない。
都会生活は衛生的だし便利だ。
問答が続きます。
自然だけが相手だと、その「自然のため」とも考える意識そのものに対する回答が得られません。
意識が自然とは少し違う働きをしているからです。
となると究極のレベルを目指すと'神様のためにやること'となるでしょう。
人も地球も自然も神様から生み出されて、神様の手の内にあります。
全てを造り、全てを知っている神様のためにやることで最もレベルの高いものが出来るでしょう。
本質や、真理を突き詰めると神様の性質を求めざるおえません。
全てを作った神様には尽きない命があり、尽きない愛があり、尽きない恵みがあり、尽きない自然も生み出します。
ましてや尽きない芸術、尽きない知恵もお持ちでしょう。
神様のためとなると、人のためにならなくなってしまうと考えられるかもしれません。
しかし神様の栄光を表すために努力する人を目の当たりにした人は、刺激をもらい、真のかっこよさや、真の優しさを見受けることになります。
つまり結果として良い影響を与えることになるのです。
そうなると神様のために努力する人の影響は、人のためにもなります。
以上のように考えると、神様のために続けることが一番伸び代があり、一番レベルの高いこととなるでしょう。
かなしいかな、目先の即物的な利益に追われているとそれが中々出来ません。
神様のために努力しても、毎月銀行口座に決めれられた給与が振り込まれるわけではありません。
明日スーパースターにしてくれる訳でもありません。
でも神様は思わぬ形で報いてくれるはずです。
このブログを書いてもどこかの会社から給料が出るわけではありません。(笑)
特に人から褒められることもありません。
もっと遠くにまで期待をよせます。
良い影響があると信じて、神様のためになり、人々のためにもなるように、という思いで書いています。
現実的にどうしたら良い影響になるだろうかと気を利かせることも必要です。
やはり、現実的でないと自分以外だれもわからないということになってしまいます。
神様の求めることをいかに現実で表していくか。
そんな祈りと努力と工夫が必要となります。
神様と関係を持とうと生きる生き方が、生き方そのものを豊かにしてくれます。
すぐに結果はわからなくてもこの感覚は分かると思います。人の心の深い部分、いわゆる霊や魂は神様に近づこうとすると喜びを感じるはずですから。
閲覧ありがとうございました。
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