<23/続100>郡上八幡城(岐阜県) | カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

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2023.09.24

 やっと暑さも納まりつつある今日この頃。そろそろ続100名城めぐり再開かなと思っていたところに、2月に注文した車が納車された。「コレは遊びに行け!という神様のお告げなのか笑」ということで新車に慣れることも兼ね、名古屋から車で1時間半ほどの郡上八幡城に向かった。

 なかなか登城の機会に恵まれず、岐阜県で唯一残った“続100名城”となってしまった。ここは山城なので、車を下の方の駐車場に置いてしまうとちょっとした登山になってしまうぐらい登る。事前の調べでは、城の直下にも駐車場はあるが、細く、急勾配でクランクが続く山道を登らなければならないほか、駐車スペースも15台程と少ないとのことだ。

 “どうする?”まぁせっかく車あるんだから、とにかく車で駆け上がろうと急勾配の坂に挑んだ。しかし、クランクでは車を切り返さないと登れないし、急勾配でアクセルをふかさないと進まない。負荷しすぎると急発進してしまう。さらにガードレールなどもなく下は崖になっているところもある。時間は短かったが、ハラハラしながらなんとか登ることができた。

 今日の開城時間は9:00、到着が8時少し過ぎたぐらいだったので、城の外観撮影などをして待つ。お城を間近で見ながら待つというのも悪くない。

 時間になり入場券を買って城内へ。続100名城のスタンプは天守1階に設置されていた。

 郡上八幡城に江戸時代天守があったのかは不明だが、1933年(昭和8年)、大垣城(当時は江戸時代の天守が存在していた。太平洋戦争中の空襲で焼失)を参考に木造で天守を建設した。そのため“日本最古の木造模擬天守”と呼ばれている。その次に木造で天守が建設されたのは2年後の1935年の伊賀上野城、そこから戦争を経て消防法などで木造の高層建築が規制されたこともあり、1991年(平成3年)の白河小峰城まで60年近く建設されなかった。

 天守の中は、中央部分に階段が設置されている。現存する姫路城や彦根城のような急階段ではなく、踊り場もあり登りやすい。うーん、戦国当時にこんな設計したら、敵が登りやすく、すぐ攻め落とされそう。まぁこの辺も模擬天守ならではです。

 天守最上階からは郡上八幡の城下町を見ることができる。今日は天気も良く、はるか先まで見渡すことができた。

 天守を降り、裏手に廻ると顕彰碑が建っている。

 この顕彰碑は幕末幕府側として新政府と戦った凌霜隊(りょうそうたい)のものとのこと。転戦しながら会津まで行き、会津戦争にも参加したとのことで、その顕彰としてライオンズクラブによって建立されたものとのこと。会津まで転戦していたとは知らなかった。

 さて、郡上八幡城の見学はここまで。この後、道の駅に併設された日帰り温泉に入り、昼過ぎに名古屋に戻った。