私は、広島市民球場やマツダスタジアムに観戦に行くと、決まってカープうどんを食べるのです。

でも、球場に行ったというのに、食べなかったことが一度だけありました。

 

その試合は山本浩二の監督としての公式戦初めての試合となる阪神との開幕戦でした。

 

出掛けるのが少し遅れたので、球場に入ると、阪神の先頭バッター和田が、北別府のスローカーブに手が出ず見逃し三振に倒れていました。

 

高橋慶彦が先頭打者本塁打でカープが先制し、3回にも、長内と長嶋のタイムリーで2点を加え、先発北別府も調子良く、カープペースで試合が展開していました。

 

大抵、試合開始前のビジターチームの練習を観ながらカープうどんを食べていたのですが、この日は入場が試合開始直後だったので、5回裏のカープの攻撃が終了した直後のインターバルの間にうどんを買いに行くつもりでいたのです。

それで、実際、そのつもりで自分の席を立ち、うどんを買いに向かいました。

うどんを買いに行く前に、トイレを済ませておこうと思って、トイレに行くと、たくさんの人が並んで待っていたので、私も並び、しばらく後、用を足し終えた時には、既に6回表の阪神の攻撃が始まっていたのです。

ですから、私は試合が気になったので、うどんは後回しにして、自分の席に急いで戻りました。

 

6回の裏に、山崎のソロホームランが飛び出して4-0となった時には、カープの勝利だと思っていました。

「明日は先発大野だし、阪神の先発伊藤から2点くらい取ることができれば、開幕カードは連勝できそうだな」

などと、考えていたくらいでした。

 

うどんは、8回表の阪神の攻撃が終わってから買いに行くことにしていました。

その頃には、売店のお客さんも少なくなっていて、待たずにスムースに買うことができるだろうと思ったからです。

 

ところがです、8回の表阪神は、ノーアウトから代打佐野、代打中野、和田と3連打で満塁とし、2番平田の代打金森がセンター前ヒットで2点を取って、更に無死一塁二塁となりました。

ここで先発北別府が降板し、長冨が登板しました。

その長冨から阪神の新外国人フィルダーが逆転ホームランを打ったのです。

 

カープ勝利濃厚の終盤の展開をのんびりと観ながらカープうどんを食べる目論見が潰えたのです。

カープが逆転されたので、うどんなど食べることも忘れてしまい、必死で応援をしなければならなくなりました。

8回裏に長嶋が打ったレフトへのホームラン性の大飛球は金森に好捕され、9回裏にも一死二塁と同点のチャンスがありましたが、代打小早川と高橋が打ち取られてしまい、カープはまさかの逆転負けとなってしまったのでした。

 

結局、勝てると思った試合は負けてしまうは、カープうどんを食べる機会を逸してしまうで、失意の内に球場を後にしたのでした。

今日、パチンコに行ってみました。

お金が少ししかなかったので、1円パチンコです。

フィーバークイーンという台を打ちました。

800円で最初の大当たりを得てから、8連チャン(15ラウンド大当たりは3回)するなど、かなり良いペースで当りが到来したので、2時間ほどで持ち玉が9000個を超えました。

 

と、ここまでは良かったのです。

 

ところが、そこから流れは暗転しまして、最終的には持ち玉が全て呑まれてしまい、800円の負けで退店しました。

 

一番出ていた時にやめるのは難しいとしても、せめて五千円換金して、4200円勝って帰るようにすれば良かったと、悔やんでいます。

あるいは、3000個ほどでも貯玉に残して帰れば、まだ良かったのですが・・

 

まあ、このようなことを考えていても仕方がありません。

切り替えて、元カープの山根投手についての話題を書きたいと思います。

と言っても、大した内容の話ではありません。

それに、パチンコにも関連がある内容なのです。

 

今から35年位前、私はおじいさんに連れられてパチンコ屋さんにいました。

すると、そのお店の中に山根投手が入って来たのです。

そして、山根投手は台で打ち始めました。

機種は、デジタルが777と揃って、更にその上に1つあるデジタルでも7が表示されると大当たりになるというフィーバー機でした。

まもなく、私とおじいさんはお店を出ましたから、山根投手はその台でどうなったのか知らないのです。

 

今でも時々、その事を思い出しては考えることがあるのです。

「あのフィーバー台で山根投手はどういう結果になったのだろうか?」

 

その日は学校の冬休み中だったと思います。

小学校1年生か2年生だった私は、暇だったのでおじいさんに付いて出掛けたのでしょう。

パチンコ屋から家まで帰る間、おじいさんが運転する車の中で、私はおじいさんに言いました。

「山根投手の打っていた台はどうなるかなあ?」

すると、その日パチンコで負けたおじいさんは言いました。

「そんなことはどうでも良い。それより、お菓子を獲ってやれなかったからスマンな」

 

もし、あの日、おじいさんにツキがあり勝っていたら、景品のお菓子をたくさん獲得してくれていただろうから、私は喜んでいたことでしょう。

だから、あの日おじいさんがパチンコで負けてしまい、その為にお菓子を獲ってもらえなかったことは残念でした。

でも、残念な気持ちよりも、その後山根投手がパチンコでどうなったのかをもっと気にしていたのでした。

 

 

 

 

先月22日に、片平晋作さんが亡くなられたそうです。

片平さんは、もうかなり前のことになりますが、西武ライオンズからトレードで大洋ホエールズにやって来ました。

カープファンの私からすれば、左の巧打者が加わった大洋打線は少し厚みが出てきて恐ろしい存在になるかもしれないと思ったりしたものです。

でも、カープには大野と川口の左投手がいたので、片平は封じることができるだろうし、むしろ、江川、西本、加藤初などの投手を片平が打ってくれて、大洋が巨人を苦しめてくれるのではないかと、期待していたのです。

その頃は、巨人とカープが優勝争いの本命で、シーズンによっては、阪神や中日がそれに絡んでくることがあり、大洋とヤクルトは最下位争いをしていました。

なので、片平の活躍で大洋が巨人を負けしてくれることは、カープにとってはとてもありがたいことだったのです。

 

大洋での片平は、右投手が先発の時、4番ポンセの後を打っていました。

片平が大洋に入団する前年に活躍していたローマンという外国人選手が退団してしまい、左打者が手薄になっていたのです。

ローマンの抜けた穴を、大方埋めていたのが片平でした。

 

大洋での移籍1年目の開幕戦で、広島市民球場で先制の2点本塁打を北別府から打ったのを特に覚えています。

田代も二点タイムリー、若菜もホームランを打ち、先発の遠藤をカープは打てず、開幕戦黒星を喫したのです。

 

ファミコンの野球ゲームでも結構活躍してくれました。

87年版のファミリースタジアムでは、4番ぽんせ、5番かたひら、6番あどち、という並びでした。

86年版では、Lチームで、3番あきやま、4番きよはら、5番かたひら、6番たお、というラインナップでした。

ファミスタについて、いまだに、疑問に思っていることがあるのです。

何故、86年版のLチームにブコビッチという外国人選手が入っていないのか?

それから、確か、Sチームにもブロハードがいませんでした。

ともかく、片平の本塁打で出鼻をくじかれてしまったカープはそのシーズン優勝することは出来ませんでした。

開幕戦だけではなく、以後も片平には苦しめられました。

片平は、地味だけれど、とても良い選手だった思います。