11月20日
介護を仕事にしてる以上、利用者さんの「死」は避けられないことです。看護師なんかもっと身近でしょう。さらに救命救急となればイヤとはいえ日常にあることになるし。
まあ、救急搬送になる時の様子を見て「これはヤバいかもしれないな」と思うこともあったし、入院してて亡くなったと知らされることもありましたが。(このパターンが一番多いですが)
私はそんなに経験もないから、「辞めたくなるくらい落ち込む」ってことはまだないけど。
日中勤務の時元気だった人が、次の日出勤したら「亡くなった」って聞かされると「はあ?」って信じられない気持ちになります。

で、考えるんですよ。
もちろん「ここに入居していて幸せな人生のエンディングだったのだろうか」「私はその人のためにきちんと仕事ができたか」ということは勿論ですが、同時に「人間そう簡単には死なないけど、逝く時はあっけない」「明日を迎えられることは当たり前だけど、当たり前じゃない」

まぁ、お年寄りだからそのリスクと隣り合わせなのは誰でも思うことでしょう。
特に今まで出会ったり話を見聞きした事例の多くが80代なので、自分勝手に「80代はその日その日が人世最後の日説」と勝手に呼んでます。

でも自分と同じくらいの歳の知り合い、有名人が病死、急死したという話を聞いてるとすでに「明日の保証がない歳」であることを身につまされるんですよ。
実際「ヤバかった」ってことを経験してるし。
定期検診でたまたま血圧測ったら200オーバーの「いつ血管が破裂してもおかしくない」状態が発見されたり。

それにバイク乗ってたから常にリスクはありましたし。例え近所でも100%無事で帰ってこれるって保証はなかったですから。
実際、隣町に面接に行った時、事故ってバイクは昇天。自分は治療困難の右肩脱臼で今もそれを抱えてるし。これも助かったのは「運がよかっただけ」の事故ですから。

そんなわけで、日々「LIVE」していたいなと。「生きてるだけで丸儲け」ですから。

なんでこんなヘヴィな話になったかといえば、命拾いの経験と職場の施設で亡くなった人が続けて出たんで。
R.I.P.
何処に行けば苦しみを愛せる-十字架
にほんブログ村 音楽ブログ HR/HMへ
にほんブログ村