昨日、12月22日は冬至でした。

 

月桂冠さんのブログでこんな記事を見つけました。

 

 

 

 

前略


「冬至粥」(とうじがゆ)という習俗も、そのルーツは古代の最も大切な行事、新穀感謝の祭に由来している。

古代人は、稲の穂を摘むことによって穀霊が一旦死ぬと考えた。

そこで一家の主婦は田から稲や粟(あわ)の初穂を抜いて家に持ち帰ると、それを寝具にくるんで添い寝し、新しく生まれてくる稲魂(いなだま)のすこやかな生育を祈った。

ついで、その新穀を臼(うす)に入れ、復活の唄を歌いながら杵(きね)で搗く。

得られた白米を、火を新しくしたカマドで炊きあげる。

出来た固粥(かたがゆ。今の普通のご飯)と、同じ米で醸(かも)した神酒(ミキ)を供え、それらを神と共に飲んだり食べたりすることが祭そのものであった。
これを新(にいなへ、にへ)と呼び、復活した新穀を自らの体内に入れることによって、新たな生命(いのち)を得ると信じた。また稲を「トシ」、年も歳も「トシ」と呼んで、神人共食による新しい年の活力のよみがえりを期待したのである。
このきわめて古い伝統をもつ民族の風習は、3世紀頃、王権の高まりと共に公的な行事として次第に儀式化されていった。

 

後略

 

 

なんと、なんと神秘的なのかしら。

なんと美しい光景なのでしょうね。

 

みきを神と共に飲み食べたりすることが祭りそのもの、

だとしたら、

島の神事はまさに、それです。

 

神唄を歌い、みきを捧げ、人もいただく。

まさに、私の島もそうだし、

多良間島や、他の島々もそうです。

 

 

 

 

 

 

島には、本当に原点があるのだな、と思うのです。

こちらのブログ、その後に続く、新嘗祭への話もとてもとても興味深く読ませていただきました。

 

そして、

月桂冠さんのブログは、本当に勉強になります。

 

今年6月に、月桂冠大倉記念館をたずねました。

展示物も素晴らしかったけど、なにより、社員さんたちが熱くて、

本当にたくさんの貴重な話を聞かせていただきました。

 

 

 

来年もまた、京都でお仕事の時には、

是非またお邪魔したいと思います。