幼稚園から、「夏休みの間は、お手伝いをたくさんさせてあげて下さい」と言われてます


今のとこ我が家では、テーブルを拭くのは息子の毎日の仕事。
他には日によって、お料理を手伝ってもらったり、洗濯物を一緒にたたんでもらったり。



で、ふと思う。



昔は掃除機がなくて、ほうきで床を掃いていたんだな。
洗濯機がなくて、たらいと洗濯板でゴシゴシやっていたんだな。
お風呂沸かすのも一仕事だったろうし。
我が家にはないけど、食器洗い機が今では食器を洗ってくれたり。
ね。


昔のお母さんは、今よりずっと大変だったよね。
だからきっと、子供がお手伝いするのも当たり前だったんだろうなー。
お手伝いをしてお母さんの仕事を減らさないと、一緒に遊んでもらう時間もないくらいだったのかも、なんて。
むしろお母さんが忙し過ぎで、お手伝いをすることがお母さんとの時間でもあったのかな。


電子レンジで時間短縮、とかもないしね。



夏休み、息子とどうやって時間を使おうかと頭を抱えていたけど、これは贅沢な悩みかも。
お手伝いしてもらわなきゃならない程、私が忙しくないっていうね。


ほうきで床を掃き、ゴシゴシ洗濯をし、じっくり料理をし、カチャカチャ食器を洗い、 昔の子は、家にいながら、ただお母さんと同じことをして過ごすだけで、自然と多くのことを身に付けていたんだろうね。
そう考えると、昔の子供が羨ましくもあり、文明の利器が恨めしくもあり。

いや、かと言って、今更掃除機と洗濯機を手離して生活なんてできないし、するつもりもないんだけど( ̄ω ̄)
まぁでも、ロボット掃除機は確実に買わないなぁ


便利さに惹かれて知らず知らず、学ばせる機会を自ら失ってきたのに。
習い事や知育玩具や教材、良いと言われるものを新たに与える、という。
それもなんだかなぁ。
違うよなぁ。
もちろん誰も教育を、文明の利器で失ったものの埋め合わせにしてるつもりなんてないんだけど。


果たして私は、昔のお母さんが何気ない普段の生活を通して子供たちに与えていたものと同じだけの価値あることを、何を通して息子に与えられるんだろうか。


ああやだ私、今日も相変わらず理屈っぽいっ