先生との面談で告げられたこと
3月30日、先生との面談があった。
鼻や腕からの栄養では「食べる楽しみがない」という理由で、明日からゼリーなどを使い、少しずつ口から食べる練習を始めることになった。
ほんの小さな一歩だけれど、その裏には大きなリスクがある。
誤嚥性肺炎――年に3〜4回は起こると思ってほしい、と先生は静かに話した。
もし始めてすぐに肺炎になれば、口から食べること自体が難しくなる可能性も高いという。
転院の現実と、母の言葉
肺炎は少しずつ良くなっていて、あと1〜2週間で転院の見込み。
ただし中部病院は難しく、春光会や県南病院での療養になる可能性が高いらしい。
そのことを母に伝えたとき、返ってきたのは強い言葉だった。
「また転院するくらいなら、自分で死ぬ」
あまりにも重く、鋭い言葉だった。
弟と相談し、しばらくは転院の話題は母に伝えない方がいいかもしれないと思う。
母は「家に帰りたい」と言う。
でも、その願いが簡単には叶わない現実がある。
ゼリー一口の難しさ
同じ日、ゼリーを一口試してみた。
けれど、うまく飲み込めなかった。
やはりまだ難しく、しばらくはチューブで胃に栄養を入れる状態が続くことになりそうだ。
「食べる」という当たり前のことが、こんなにも遠い。
別れ際の寂しさ
1時間ほどそばにいて、「そろそろ帰るね」と伝えると、
母は「もう帰るの?」と寂しそうに言った。
その表情が、心に残ったまま病院を後にする。
すれ違う言葉
車を運転していると、母から電話がかかってきた。
出ると、「明日から来なくていい」と言う。
さっきまで寂しそうにしていたのに、今度は来なくていいと言う。
その変化に戸惑う。
せん妄の影響なのかもしれない。
それとも、母の中で何かが揺れているのかもしれない。
少しずつほどけていくもの
母の言葉や様子を見ていると、
何かが少しずつほどけていっているような気がする。
それが記憶なのか、気持ちなのか、わからない。
ただ、確かに感じるのは、
どうしようもない心細さだけだった。
