先週まで、普通にやり取りをしていた。
Facebookにコメントをくれて、
そこにはいつもと変わらない、静かで澄んだ気配があった。
だから、訃報を聞いたときも、
「亡くなった」という言葉が現実として入ってこなかった。
頭が止まり、時間だけがずれていく感覚。
心が追いつく前に、世界のほうが先に進んでしまったようだった。
霊気の師は、特別な人だった。
けれど正直に言えば、
わたしとの波動は、最初からぴたりと合っていたわけではなかった。
霊気の伝授を受けたとき、
かなりの時間を要したことを、今でもはっきり覚えている。
何度も調整を重ね、沈黙が続き、
師も「時間がかかるね」と、静かに微笑んでいた。
それでも途中で投げ出すことはなく、
最後まで丁寧に向き合ってくれた。
霊気とマッサージを自然に融合させたその手は、
身体だけでなく、
内側の深い層に触れてくるようだった。
腫瘍がその場で消えてしまうこともあったけれど、
師自身はそれを特別なことだとは語らなかった。
ただ、必要のなくなったものが去っただけ、
そんな佇まいだった。
コロナ禍の混乱の中でも、
師はインドからネパールへ、山を越えて移動した。
恐れよりも、導かれる感覚を信じて。
その姿は、すでにこの世界の境界を
静かにまたいでいるようにも見えた。
今思えば、
波動が合わず、時間がかかったあの伝授の時間も、
師にとっては「合わせる」ためではなく、
わたし自身が自分のリズムに戻るのを
待ってくれていたのかもしれない。
もう、新しい言葉をもらうことはできない。
でも、あの長い沈黙や、
調整のために重ねられた時間そのものが、
今も身体のどこかに残っている。
人は亡くなるのではなく、
存在する場所を変えるだけなのかもしれない。
ふとした瞬間に、
静かな霊気の流れを感じるとき、
師は今も、少し離れたところから
見守っている気がする。
感謝と祈りを込めて。
あの時間も含めて、すべてが教えだった。
