職場でずっと長くお世話になった方が、先週亡くなりました。
私が大阪から東京に転籍して出会ってから、
幾度となく励まされ、相談に乗ってもらい、息子のことなど本当に親身になって心配してくださり、勝手に私のメンターだと思って頼りにしていました。
その方の悪口を聞いたことがありませんし、またその方が誰かの悪口を言っているのを聞いたこともありません。
いつも笑顔で、誰でもすぐに好きになる類稀な人気者でした。
新型コロナが蔓延しだしてから、オフィスに出社することが極端に少なくなり、
めったに会うこともなくなり、昨年末、久しぶりに挨拶をして、近況を報告し合ったばかりでした。
その時に、持病の心臓がちょっと・・・・聞いたのですが、まさか、命を落とすほどのことが起こっているとは思いませんでした。
なので、
「亡くなった」と聞いても俄に信じられず、いまも実感がわかないのですが、
それでも、あれだけお世話になった方が、亡くなった、もう会えないと聞いたら、
涙がとまらなくなるはずなのに、
どこか、冷めている自分がいて、涙がでない・・・・
急なことで驚きはしたけれど、
69歳で、まだまだ若い、もっと生きたかったはず、と思いはしたけれども、
その一方で、
「人生の舞台を降りられた」
「これまで本当にお疲れさまでした」
「天国でゆっくりしてください」
という、悲しさよりも、労いの気持ち、
旅立ちを見送る気持ちの方が大きかったようです。
コロナ禍という特殊な状況下であったからか、
自分もそれなりの年を重ねたからか、
これまでの闘病のことを思ったからか、
悲しさより労いの気持ちに傾いてしまった理由はいまはわかりません。
お通夜や告別式に参列すれば、悲しさを自覚するのかもしれません。
「◯◯さんは、大丈夫!」とみんなを励まし、
「やるっきゃない!」とどんなときでも弱音を吐かず自分を奮い立たせていた、
その姿を思い出し、心からお疲れさまでしたと伝えたい。
同じ9月生まれで、誕生日が過ぎると、
もうすぐに大晦日だねー、1年が早いね!って
毎年のように話していましたが・・・
亡くなって数日経ち、私が受け取ったメッセージは、
「人生って思ったより早くおわっちゃう、気がつけば大晦日」
自分の意思とは関係なく、人生は急におわる。
(だから、いつ終わっても悔いのないように毎日を生きなければ)
最後の最後まで、貴重なメッセージをいただき、感謝の気持ちしかありません。
心からご冥福をお祈りいたします。