器の大きさ | another way

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新たにまた一歩踏み出す

昨日の築地玉寿司社長の中野里陽平さんの講演があまりのも劇的で

今日もそのことを考えていました。

 

あれほどのプレッシャーや窮地に追い込まれたら、

私だったら、完全に潰れてしまい、正気を失うか命を絶つのではないかと。

 

超えられない試練は決して与えられない

 

とよく言われますが、まさしくその通りなのだと。

 

ひとそれぞれ、背負っているものの量や質、持っている力や武器が違っていて、

それに応じたことが起きるのだ。

 

なので、ひとと自分を比べることはナンセンスだし、

もし自分だったらと想像するのも意味がないとは思いますが、

やはり、比べて見たり、私だったらと想像してみたり、してしまいます。

 

中野里社長に限らず、多くの社員を抱えた経営者の方の器が、

大ぶりのどんぶりだとしたら、

私の器は極々ちいさな、安定感のない、お猪口だなー

 

すぐに溢れるし、勢いよく注がれたら耐えられず倒れてしまうかも。

 

それでも、だからだめではなくて、

お猪口なりの役割を自覚して、お猪口なりに少しずつ器を広げようとしたり、

自分の器にあった努力を日々重ねていくことだなと思いました。

 

披露いただいたエピソードのひとつひとつを思い出していると、

努力したことがそのまま報われ結果となった、というより。

 

追い詰められてもうだめかという究極の事態に、

まったく期待もしていなかったところから救いの手がさしのべられたり、

思ってもいなかった幸運が突然(ふくろうとともに)舞い込んだり。

 

なにか人間の努力だけでは叶わない大きな力が、ひとや会社の命運をつかさどっているようで。

 

そのなにかはわかりませんが、そこに理念や基本の姿勢、などが関係しているように思います。

 

器の大小により、成功や苦難の大きさも違ってくるかと思いますが、

いずれにしても、生き方が問われることに違いはなさそうです。