今まで何度となく患者さんを看取り、遺されたご家族を目の当たりにしてきました。
今回自分が母を亡くし、1年が経ち今まで自分が思っていた以上に悲しみというものは癒えないんだなということがわかりました。




『悲しみはいつ癒えるんだろうか?』




それは人それぞれだと思いますが、多くの人は
①思慕(しぼ=思い慕うこと、恋しく思うこと)
②疎外感
③うつ的不調
➃適応対処の努力
の4つの悲嘆要素が中核になります




①~③は心的反応で喪失を悲しみ、嘆き、故人を追い求めて苦しむ感情的な反応




➃は現実への対処を求める願望で、この様な苦しみにもがきながらも、何とか生き抜こうと考える理性的、現実的な思考反応のことです。
死別者はこの感情と理性の狭間で揺れ動いているのです




これらは死別後半年~4年半程度まである程度の頻度で継続して出現します。




死別後しばらくの間は、じっくりと悲しみに向き合う時間もなかなか取れず、日々現実の問題対応に迫られることになります。




このためいつになれば気持ちの整理をつける心境になれるのかという焦りにも近い思いが出てきます。




しかしこの様な慌ただしい日々の生活への対応自体が、悲嘆回復に繋がっています。
多忙に身を紛らわせることで、こみ上げてくる悲嘆にフタをする手法は全体の回復にこそ時間がかかるかもしれませんが、大部分の方が取っている悲嘆の対処法なんです。



生前、母もおばあちゃん(母方)を亡くして7年位経ったときに
『やっと、気持ちの整理がついた』と言っていたことを思い出しました。




私もわざと予定を沢山入れたり忙しくする事で、早くこの悲しみを忘れよう忘れよう元気にならなきゃ!
って無理矢理に悲しい感情にフタをしていました。




しかし、一人になった時や、仕事で患者さんを看取ったとき、遺されたご家族を見たとき、
ふとした瞬間に大きな悲しみを背負っているんだなって思い、何度となく感情が溢れてきました。




早く悲しい出来事→いい想い出に変えよう変えたいっていう焦りもありました。
いつまでもメソメソしてられないなって。




でもこの悲しみを聴いてくれる人、受け入れてくれる人が目の前にいた時は素直な感情のままでいることができ、




『悲しい出来事→いい想い出に無理矢理変えようとしなくてもいいんだ。自分の気持ちが晴れるまでは悲しくてもいいんだ。だって大切な人を喪ったんだもん。自然な気持ちの赴くままでもいいんだ』




『コップの中の氷をかき混ぜて急いで溶かさなくても、
氷が自然と溶けるのを待つ様にゆっくり時間を掛けていいんだ』



という素直な気持ちでいる事が出来ました。




人それぞれ悲しみの受け方や辛い時間の長さなど個々で異なるとは思いますが、
この経験を仕事に活かしていきたい、そして悲しみに暮れる方に心から寄り添える看護師になりたいなと思いました。