一旦帰宅していたが午後に再び病院へ戻った。
手術が終わって12時間くらい経過した頃だった。
私が一度帰宅した後に主治医の回診があって刺激で目を開けたり少し反応があったようでした。
でも私達が午後に来た時は何も反応はなく眠っていた。
時間も経過し夜ご飯も食べなければいけないので一度病院を出ようとした時に、担当ナースが追いかけてきた。
「すみませーん!ちょっと待っててもらっていいですか?さっきは大丈夫だったんですけど瞳孔が散大していてもしかしたら緊急オペになるかもしれないので、帰らないで待っててください!」と
術後に脳梗塞を起こしていたのと、出血やむくみで腫れたため、頭蓋骨内の圧が高まり脳幹を圧迫していたようだった。それが原因で瞳孔が散大(瞳孔が大きく開いて)いた。
脳幹は呼吸などの生命維持に重要な部位です。
頭蓋内圧を下げるために一部の頭蓋骨を外して圧力を外に逃がす手術を急遽する事になった。
この手術は2〜3時間位で終わると言われた。
この時が台風が一番酷く、避難勧告も出ていて家にも帰れない状況だったので病院に泊まることになった。
他にも帰れない家族が何組かいた。
病院の会議室が開放され、そこで休んでもいいと言われた。
院内は消灯され暗いけど会議室は電気が煌々とついていたのと、パイプ椅子だから横にもなれないし他のご家族もいて落ち着かなかったので、
結局最初に待っていた周りに誰もいないソファーへ戻ることにした。
病院からは災害用の毛布1枚を貸していただけたので、それをかけて細いソファーで横になった。
他のソファーにはそれぞれ叔母や従姉妹が横になった。
借りた災害用の毛布はペラペラだったけど、暖房も効いていたので意外と暖かくて少しだけ休めた。
手術から4時間程経って母は戻って来た。
ベッドの枕元には外された頭蓋骨の一部がガーゼに巻かれて袋に入って置かれていた。
これで少しでも症状が改善してくれればいいんだけどな。。。
術直後にひと目だけ見てまたソファーで朝まで休んだ。
夜明けには雨もやんでいたため一旦病院をあとにした。
千曲川の推移は相変わらず高いままで流れも早かった。
朝6時過ぎに家に戻って仮眠していたら8時頃に病院から連絡があり起こされた。
色々とやる事をやってから病院に戻ろうと思っていたが早めに来てほしいと連絡があり、
2時間弱寝ただけでお昼前には病院に戻る事になった。
『早めに来てほしいって何だろう。。』
自分の中ではあまり母の状態は良くないと理解はしていた。
それは術後の説明やCT画像、母の姿やモニターのバイタルサイン(熱、血圧、呼吸数など)や尿量などを見てそう考えていたからだ。
到着すると部屋に通され主治医から病状説明が始まった。
やはり状態は良くなかった。
手術後の広範囲の脳梗塞、梗塞部位は脳の半分くらいまで及んでいた。そして脳出血、脳ヘルニア。
麻痺もなかったが梗塞範囲の拡大により麻痺が出現していた。
顔や体、手足もむくんでいた。
この様な状態で自発呼吸もないので当然人工呼吸器も外す事は出来なくなった。
薬剤も使ってコントロールしていたが血圧も変動が激しく状態は不安定だった。
当然急変のリスクは高く、主治医の説明はDNARをどうするかということだった。
それともう一度処置的に手術をするかということだった。
DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)は
終末期に当たる時期に二次心肺蘇生措置を取らないということ。
つまりは心臓マッサージや気管挿管、人工呼吸器などの使用による延命をしないということです。
【※注意 : DNARの許諾後も鎮痛、鎮静などの緩和ケア、抗生物質投与、抗癌剤治療などの必要と
判断される治療・ケアはインフォームドコンセントに基づいて行います】
時と場合によりますが、今は延命をしないのが主流になっています。
もちろん長生きしてほしいけれど、その措置で苦しい思いをさせたり、衰弱している中での蘇生措置は途中で最後を迎えてしまう可能性も少なくなく、穏やかな看取りができなくなる可能性もあります。
私は今まで仕事の中で何百人もの患者さんを看取ってきましたが、やはり延命処置はしたくないという思いでいました。
一概には言えないけれど延命しない方がみんなが穏やかな時間を過ごせていたのを見てきたから。
たとえ意識がなくてもわからなくても、これ以上お母さんが苦しむのは嫌だった。
くも膜下出血で頭も痛くなって吐いて苦しんで倒れて手術も頑張ってたくさんの管に繋がれて。。
これ以上やるのはお母さんがかわいそう。
私は母の姿を見ているのが凄く辛かった。
普段は淡々と仕事をしていたとしても、母となるとやはり違った。
延命するかしないか。。。
一緒に来ていた親族は説明を聞いてもよくわからないから決めてと言われた。
看護師として私はDNARで決断した。
でも本当は1日でも1時間でも長生きしてほしい。
それは娘としての想い願い。。
自分たちの少しでも生きていて欲しいという願いの為に母が苦しむのはなんか違う。
最期は穏やかに迎えたかった。
「娘さんが仕事でいない時にそうなったら昇圧剤使いますか?」と主治医に言われた
最期の臨終に間に合うように血圧を上げる薬を使ってコントロールし間に合うように保たせるかどうするかということだった。
看取りたい最期は立ち会いたい。お母さん一人にはさせたくない。
そんな思いでいました。
でも間に合わせる為に使うのも何か違う。
間に合わなかったらそれはそれで仕方ないよね。
お母さんも大事だけど、それよりも仕事で関わっている目の前にいる患者さんがその時は大事だからそれはきちんとこなしたい。
間に合うも間に合わないも運命。
私は全てを受け入れる覚悟と準備は出来ていた。