みなさんこんばんは★
今回のブログは長くなるので何回かに分けてお届けしたいと思います。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです





母が失くなってもうすぐ1年が経とうとしています。
母は66歳でした。
この1年はとても長くてでもあっという間で自分の中で大きく変化のあった1年でした。





母は娘が看護師である事に誇りを持ち、頼りにしてくれて、1番応援していてくれた母の存在は本当に大きかった。
喪って初めて気付いた。





当たり前の日々が当たり前でなくなった日。
そこに存在していることが普通だった日常が非日常になった日。
大切な人が自分の元から去ってしまった日。
もっと長生きすると思ってた。
居なくなる事がこんなにも悲しく辛い現実だとは思いもしなかった。





母が倒れた日の夕方に母からLINEが来ていました。
『書類が届きました。ありがとう😆💕✨』
お母さんが新しい職場に勤めるようになり保証人の書類を返送して届いたのが倒れた日だったのだ。
そして、いつものLINEだから私は返信しなかった。
まさかこれが最期になるなんて。。。





その翌日、私は仕事をしておりちょうど昼休憩に入った。
いつもは昼ご飯を食べてからじゃないと見ない携帯をふと何故かご飯前に見てみた。





従姉妹のお姉ちゃんと、お母さんのお姉さんから着信が入っていた。
なんだか胸騒ぎがした。





従姉妹に連絡すると、うちの母の携帯からとお母さんのお姉さんから着信があって掛け直したけど繋がらない、何か知ってる?と。





私は手と身体が震えてきた。





『私もかけてみる』





お母さんの携帯もおばさんの携帯も出ない。
やっぱりおかしい。





とりあえず折り返しを待つのと後でもう一度掛け直そうと思い、とりあえずご飯を食べようと一旦電話のために外に出たけど再び院内に入ろうとした。
ちょうどそんな時だった。





大家さんから電話が来た。





『仕事に出勤してこなくて、職場の人が心配でうちに来て一緒に家に入ったらお母さんが倒れてた。救急車で運ばれていま病院にいる。意識はない。手術するかもしれない』と





お母さんはくも膜下出血だった。
右中大脳動脈に出来た脳動脈瘤破裂からのくも膜下出血だった。
同時に脳内出血も起こしていた。しかも広範囲で。





私は携帯が持てなくなるくらい手が震えた。
必死に両手で携帯を持ち、冷静になるんだ私は看護師だ落ち着いて状況聞かないと!って
冷静になろうと頭で考えている意に反して、手の震えと体の震えは一向に止まらず激しくなり心臓がバクバクしているのがわかるくらいだった。





大家さんから「たぶんこの後病院からも電話が来ると思うから」って言われた。
大家さんと電話を切ったタイミングで病院から電話があった。





脳外科の主治医からだった。





「娘さんですか?娘さんが看護師という事は大家さんから聞きました。
お母さんはくも膜下出血で少し意識障害を起こしている。早く手術しないと命の危険がある。
本来なら手術の同意は書類に書いてからでないと出来ないけど、娘さんは看護師で口頭で説明すれば何となくわかりますよね?
一刻を争うからあなたが東京から長野にくるのを待つのは時間がかかりすぎる。口頭で同意得られれば来るのを待たずしてオペするけどいいですか?」と。





今の母の意識レベルは?
麻痺は?
バイタルは?
出血の範囲は?
オペの詳細は?





電話越しで震えながらも主治医に確認した。
これは私以外の身内が聞いてもわからないから私がしっかりしなくちゃって。
必死だった。





お母さんは病院に到着時は麻痺もなく呂律は回らなかったけど何とか会話は出来ていたようだ。





「オペは今やっているのが終わってから緊急でやります」と。





『とにかく仕事切り上げてすぐに向かいます』





その後、妹にも電話し震える声で伝えた。
妹も泣きそうな声で状況を聞いてきた。
泣くのをこらえているのがわかった。





私はこぼれ落ちそうになる涙をこらえて師長がいるナースステーションへ急いで向かった。





師長の顔を見たら看護師としての私はどこにもおらず、ただただ泣きじゃくって
『いまお母さんが倒れたって大家さんと病院から連絡あって。。くも膜下出血で。。オペするって。。どうしようどうしよう師長さん。。お母さん死んじゃうかもしれない。。今から早退して長野に行っていいですか?お願いします』





師長は『それは大変!今すぐ行ってきなさい。こっちの事は心配しなくていいから!勤務も調整するから大丈夫だから!それより早く行きなさい!台風来てるから気をつけていくのよ!』





ナースステーションにいたスタッフも
『早く行ってきな!大丈夫だから!気をつけて行くんだよ!泣いてたら運転できないからしっかりするんだよ!』って





突然の事なのに本当にありがたかった。
そのスタッフの優しさにも涙がこぼれた。
私は泣きながら一旦家に帰り荷物をまとめた。





私は従兄弟のお兄ちゃんの運転する車に乗り込み叔母と車で急いで長野に向かった。