皆さんこんばんは!
私は看護師を志半ばで人生初の挫折を経験しました。
しかしこの挫折はおじいちゃんの死がキッカケで再び看護師になる!という目標が芽生え再スタートを切るのです。
長くなると思いますが読んでいただけたら嬉しいです(*^^*)
看護学校と病院を退職したあとは1ヶ月程お休みしていました。
初めは
「こんなに長い休みは高校卒業してからはなかったから嬉しいな~沢山遊ぼう!」という思いでした。
しかし1週間過ぎた辺りから、あの忙しく働いてた時に戻りたいと思い始めました。
毎日何もしない自分が物凄い情けなく思えてしまったんです。
次はどこで働こう?と考えていた時にふと看護部長に言われた言葉を思い出しました。
「そうだ!今まで経験したことない療養型の病院に行ってみよう!もしかしたら合うかもしれない!」
そう思い地元の療養型の病院に勤め始めるのです。
前の病院を退職して1ヶ月程経った頃でした。
再就職した療養型病院は前の急性期の病院とは真逆でした。
殆どの患者さんが寝たきりで食事介助も必要、ご飯が経口で食べられない方は鼻からの管や胃ろうで経管栄養注入でした。
ナースコールを押せる方も殆どいませんでした。
毎日食事介助、おむつ交換、お風呂介助が仕事の中心となり、それ以外には一緒にリハビリしたり、病院の周りを車椅子で散歩したり。
月に1回患者さんとやるイベントを考えたり、季節を感じられるように折り紙でお花や切り絵を患者さんと作って、廊下の壁に貼ったりしました。夏には七夕飾りを作ったりスイカ割りをしたこともありました。
こういうのも患者さんにとっては手先と頭を使ういいリハビリになっていましたね。
患者さんの平均年齢が80歳とか90歳であるため、急変しても延命はしないというご家族の希望が多く、静かに看取る形でした。
高齢で人生を全うした患者さんを看取る時は悲しみももちろんありましたが、お疲れ様でしたという気持ちが強く、ご家族もおじいちゃんおばあちゃんはこんな人生を歩んで来たんですよと笑ってお話してくださったりと、急性期とはまた違う最期の迎え方でした。
この療養型病院で働いて数年経った頃に、実家から連絡が来ました。
おじいちゃんが旅行先の秋田県で具合が悪くなり倒れて運ばれたと。。脳出血でした。
おじいちゃんは私が高校生の頃とその何年後かに心臓の手術をして血液をサラサラにする薬を飲んでいました。
旅行中にみんなでお酒を飲み血圧が上がったようでした。
突然頭が痛いといい倒れたそうです。
手術後は順調に回復して行き、言葉は話せなかったけど言っていることは理解できる位で、車椅子にも乗れるようになって来ました。
大好きな相撲を見ている時が1番表情が良かったようです。
しかし入院から3ヶ月経った頃に再出血してしまったのです。
しかもその場所が脳幹でした。
脳幹出血は血圧や呼吸など生命活動を担う大事な場所の出血です。
この2回目の再出血でおじいちゃんは78歳で亡くなりました。
真夜中にお父さんからおじいちゃんが亡くなったと知らせを聞きました。
ふと時計を見たら、おじいちゃんが亡くなった時間とほぼ同時刻に時計が止まっていました。
「おじいちゃん。。きっとここに来たのかな。」
私は涙が止まらなくなり、ふと前に聞いたおじいちゃんの私に対する想いを思い出しました。
それは私が准看護師になった時に、おじいちゃんの2回目の手術でお見舞いに行った時の事です。
孫が看護師になったことを誰よりも喜んでくれていたのがおじいちゃんだったと知りました。
担当する看護師さんに孫が看護師をしているから何かあったら面倒みてもらうとか、嬉しいとか誇りにおもうとかをよく話していたそうです。
それはおばあちゃんからも後に聞きました。
「おじいちゃんはあんたが看護師になったのが嬉しいんだよ。」って
そんな事。。
そんな風に思ってくれていたなんて。。
なんで死んでから聞くの?
もっと早く知りたかった。。
おじいちゃんの期待を裏切った感じがした。
おじいちゃんにとっては准看護師も看護師と同じようだけど、厳密には違う。
しかも私は挫折したからね、逃げたからね。
入院先の秋田から実家に戻ってきて変わり果てたおじいちゃんと対面した時、私だけおじいちゃんを近くで見る事が出来なかった。
悲しみと申し訳ない気持ちで見ることができなかった。
私はおじいちゃんとおばあちゃんの部屋に逃げて号泣した。聞こえないように声を押し殺して泣いた。
夜はおじいちゃんとおばあちゃんの部屋で、おばあちゃんと二人で寝た。
でも眠れなかった。
真夜中に客間に寝ているおじいちゃんを見に行った。
そこには普通に安らかに眠っているおじいちゃんがいた。
でも頭は手術の傷を隠すように白い布が巻かれていた。
しばらくおじいちゃんの隣りに居た。
私はその時決意した。
「おじいちゃん、私必ず正看護師になるから!」
この日から私の気持ちは正看護師になるべく環境を変えようと一般病棟でまた働いて知識と技術を身に着けたい!という思いから退職を決意しました。
療養型病院に就職して4年が経つ頃でした。
私は一度挫折した同じ看護学校で1からやり直したいと思い、看護学校に連絡しました。
当時の先生も何人か残っていて覚えてくれていました。
3年の途中まで単位はあったので3年から途中入学出来るとも言われましたが、ブランクもありこの数年で医療も変化していた。
こんな状態で3年からやっても国家試験に受かる可能性も低くなる事はわかっていました。
何より自分の為にならないと思い、1年目からきちんとやり直したいと先生に話し、数年ぶりにまた同じ看護学校に入学するのです。
20歳そこそこだった当時の私と、数年経験を積んで知識と技術が少し付いた私では何かが変わっていました。
この3年間の看護学校は忙しくも過ぎてみればあっという間で楽しい学生生活でした。
次回は学生生活と仕事の両立を経て無事に卒業~国家試験を受けるまでをお話したいと思います(*^^*)