前回の看護師を志したキッカケのお話の続きになります。
長文になりますがよろしくお願いします(*^^*)


私は高校を卒業し、19歳で初めて1日看護体験に行った病院に就職しました。
そうです!初めて白衣を着てドキドキワクワクしたあの病院です!


実は後に2回目に1日看護体験に行った病院にもいずれ就職し、こちらの病院では最近まで12年程勤務しました(*^^*)


話は戻りますが、就職した病院であらかじめこの専門学校を受験する様にと言われ、候補にあった看護専門学校を3校受験しそちらは全て合格する事が出来ました。
その中から職場に近く通いやすい学校を選びました。


初めての部署は外科、整形病棟でした。
まだ看護学生で資格も何もなかったので、やる仕事と言えば

おむつ交換、環境整備、洗い物、洗った包帯をひたすら巻き巻きする、患者さんに湿布を貼る、氷枕作る、食事介助、患者さんを検査に連れて行く、洗髪、足浴、手浴、お風呂介助、食事の配膳などなど
細々したものが主に看護学生のやる事でした。


その仕事の合間で様々な処置や検査の見学をして勉強したり、もちろん亡くなった方のエンゼルケアも入らせていただきました。
初めての死後の処置。。。
本当にあれは今でも忘れる事は出来ません。
亡くなった時に病室から聞こえたご家族の叫び声と泣き声。。
何も経験も知識もない私は何をしたら、なんて声をかけたらいいのかわからずただただ立ち尽くしていた様に思います。
そして死後の処置が終わってからトイレで1人すすり泣きしました。
今でもこの時の気持ちを忘れずにいます。
そしてこれからもその時の気持ちは大切にしたい、そう思っています。


私は働きながら学んでいたので、
午前は仕事をしてお昼を急いで食べたら、すぐに学校に向かい夕方まで勉強をしていました。
時々そこからまた仕事に戻る事もありました。


准看護師の専門学校は2年課程でしたが、何とか辛い実習や勉強を乗り越えて資格試験に合格し無事に准看護師になる事が出来ました。


准看護師になってからは看護学科に上がり今度は3年間学びます。これが辛かった。。
今思えば何でもっと頑張れなかったんだろう?
あと半年頑張れば国家試験だったのに。。
看護師になれたのに。。
そんな時期に挫折したんです。
心が未熟だったんです。


准看護師になってからは内科にも異動したりまた外科整形病棟に戻ったりとローテーションしながら、看護学生の時と同じ様に午後は学校で学びました。


しかし、資格がない学生時代とは全く責任感が違う。
私達は看護学生でありつつも准看護師です。
患者さんから見れば同じ看護師です。
そこには、責任も付きまといそのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも仕事をしなくてはいけません。
まだ経験も知識も少なかった自分は段々と心が追いついて行かなくなったんです。


勉強も段々と難しくなり、1年目2年目は実習も2週間とか3週間だけだったから何とか乗り越えて来たものが、3年目はほぼ1年間という長い期間座学から離れて働いている病院以外での病院の実習がありました。
その間には学校で国家試験対策の模擬試験や看護研究で図書室に閉じこもる毎日。
スムーズに進んで楽しそうにしているクラスメイトとは違って、模擬試験の結果もあまり良くなかったり、看護研究も思う様に進まず足止め状態でやる気がなくなっていったのです。


5月に市内の保育園実習、その後は色々な科の実習、そして老人ホーム、1番辛かったのが精神科実習でした。
今なら普通に出来るけど、当時は無理でした。
精神科実習かぁ。。と苦手意識がある中での実習、苦手な先生や同じグループの子とも合わず相談する人も居なくてだんだん辛くなってしまい、
模擬試験や看護研究とも重なり何かが崩れていった。

周りの友達は普通に会社に就職して夏休みも何週間とある。
一方で寝る間もない実習を何ヶ月もこなし、夏休みもない生活。
あと半年で国家試験!という7月に思い立つように「もう辞めます」って先生に伝えました。


先生はあと半年頑張れば国家試験だよ今まで頑張って来たんだから3年目で辞めるのは本当に勿体ないよ、
もし無理なら1年間お休みしてもいいから休学という形でまた再開すればいいと思うと提案されました。


しかし、私は頑固な部分もあるのかもしれません。
その時、たくさんたくさん色々考えて先生の提案に心も揺らいだけど、もちろん頑張ってきたのにここで辞めるのは本当にもったいないって思った。
でもとにかくこの環境からすぐにでも抜け出したかった。
この場から離れたかった。
逃げたら負け。でもそれでもいいって思った。
我慢して自分がどうにかなってしまう前に何かを変えたかった。
だから、何度も先生と話し合いをしたけど結局7月に退学を決めました。


一番嫌いで辛かった精神科実習も3週間頑張って乗り越えたのに、乗り越えた途端何かがプツッと切れてしまったのかもしれません。


看護師を目指していたのに退学してしまった。
病院の看護部長にも退学する前に伝えました。
看護部長からはこう言われました。
「うちは質の高い看護を目指している。だから看護師にならない人は必要ない」と。
「准看護師ならいらない」と。
「あなたみたいな人は急性期よりのんびりした療養型が向いてるんじゃない?そういう病院探したら?」
そう言われました。


やっぱりこういう人はいらないんだ。。。
そうだよね、看護師になる前提でそういう条件で就職して学校にも行ってたから。。
納得もしたけど、簡単に見捨てるんだーとも思ったけど、社会はそんなに甘くないよねって思いもあって、でも悲しいとかはなくて。
なんか肩の荷が降りたような感覚になって。
きっと自分の中で環境を何かを変えたかったからチャンス!って思ったのかもしれません。


「わかりました。療養型の病院に一度行ってみます。ここは今月で辞めます。お世話になりました」って

学校退学したのとほぼ同じタイミングで初めて就職し5年勤めた病院を7月末に退職しました。


私のお母さんは初めは頑張りなさい、授業料ももったいないし自分が決めた道だからやり遂げなさいって何度も説得してくれたけど、期待に応えるだけの心がその時はなかった。

「お母さんごめんね。弱い私で。。」
きっとお母さんが1番その時悲しんでいただろうな。。。


こうやって私の人生初の挫折を経験したのです。
そこから紆余曲折を経て、また正看護師になろう!って思い4年後に同じ看護学校に再入学する時が来るのです。


そのキッカケは大好きなおじいちゃんの死でした。
        ~続く~