今日は、カウンセリングの日。
電車に地下鉄、徒歩…またもや、道に迷いながらも、高校生の男の子に聞きながら、何とかたどり着きました。少し遅れましたが…

先生からは、以前と違ってきたと言われ、やはり、少し前向きになれてるのかな?と、嬉しくも思いつつ、数々の深みのある言葉をいただき、またもや、活力をいただきました。ここでも。

健太、健太のことは、先生は知らないけれど、私の話を聞いていて、健太と出会えたと言われたよ。健太は、あそこにいたんだよね。一緒にお話したんだよね。

私にとっての健太との日々は、元気だったころと、眠りっ子になってからと、年数は違うし、関わり方も違うけど、中身は同じ。私にとっては、大事な大事な子供。人がなんと言おうと、病院から連れて帰ってよかったよ。お姉ちゃんたちの声、大好きなアニメの声、音楽、大好きなおかずのにおい、大好きなジュースも飲めた…お散歩にお風呂…病院ではできない、だけど、元気なら普通のこと、おうちでできたよね。

いろんなこと、思い出しながら、今日は、たっぷりと健太のこと、話せたよ。

健太、大切な健太、たとえ身体は死んだとしても、私たちのなかに、いつも存在しているよ。いつも一緒だよ。大切な時間をありがとう。そして、これからも、ずっと一緒にいてね。

親戚の中には、変な慰め方する人もいる。「これが、健太くんの寿命やったんよ。」とか、「一人っ子やないんやから。まだ、二人いるし。」とか。まあ、悪気はないんだろうけど。私は、運命論者でもないし、一人の命、何人子供がいても変わらんし…

幸い、友人で、そんなこと言う人、一人もいなくて、みんな寄り添ってくれるのは、ありがたい。

励ましてくれる皆さんのためにも、私は強くならなくちゃ…でも、ある程度は、流れに任せよう。うちの認知症の母が、私が小さい頃、口癖だったのが、ケセラセラ…なるようになる。歌ってたな…よく。

母性は、認知症になっても、変わらず、母は、私や健太への気遣いだけは、忘れない。ご飯を食べたことを忘れても、私らの心配はしてくれる。

健太と何気に似てる…
母のケセラセラ…今の私の救いの言葉。

そして、カウンセリングの貴重な時間、(今日も長い時間すみません、先生)心に響く、深い言葉、ひとつひとつが、私の救いです。

生きるのは辛いし、厳しい。死ぬのもつらい。でも、これは人間なら避けては通れないもの…

もう、あまり考えまい…

ケセラセラ…