別に、臓器移植の対象に息子がなったわけでもないし、脳死判定されたわけでもないけど、いろいろ考えてしまう。

病気で、ドナーを待っている子もいるだろう。私が親なら、とてもはがゆいだろう。立場が違えばそうだろうとは、思う。

でも、親の知らないところで臨床的脳死判定されてて、子供に脳死はありませんとか言われて(まだ、法律変わってなかったから)少し回復もあるんじゃないかと、希望もったりもした。私は、家に連れて帰りたかった…精神的にも、経済的にも、余裕はなかったけど。


ずっと、子供の動くところ、あったかい身体、うんちのときに、力入れて、呼吸器外すところ、お風呂でリラックスしてるところ、ヘルパーさん、訪問看護師さんに手伝ってもらって、散歩に行ったときの気持ちよさそうな表情、ああいう5年半の過ごし方、在宅での過ごし方もあるんだよ、すぐに、移植をすすめるのもいいけど、家族と別の生き方もできるんだよって、いっぱい説明してほしい。時間がないのは、わかるけど。

わたしたちの5年間の在宅生活は、決して苦しみだけではなかった。健太がいなくなって、特に思う。そりゃ、元気な方がいいに決まってる。でも、ここに居たんだよ、存在したんだよ。健太は…私たちを見て、私たちの話しや、好きな音楽聞いて、手足も動かして、いたんだよ。家族は、それだけで、嬉しかったし、楽しかったんだよ。そりゃ、つらいときもある。状態の悪いとき…でも、乗り越えたんだよ、何回も…お医者さんや、看護師さんの手も借りたけど、のりこえたのは、健太の意志だと思う。健太の力。私たち家族の誇り、健太は、総理大臣より偉い!!

世の中の人に、こういう人の在り方もあるんだよ、こんな生きざまもあるんだよって、伝えたい。

ドナー家族の皆さんの決断は、尊敬します。

私は、考えが違うだけ、それだけ。
そして、もっと、脳死後の子供たちを、皆さんに見てほしい。生きてるんです。一生懸命…あんな姿で生きたくない?そういう人もいるかもしれない。でも、本人は、家族と生きたいかもしれないじゃない。本人の意志は、わからないじゃない。
何度も奇跡を繰り返した健太の母だから、そう思います。

ほんとに、我慢せずに、泣いてます…大声で。逢いたい…また、お世話したい。オムツでもなんでも、うんちいっぱいしても、なんてことない。生きててほしかった。健太は辛かった?生きたかった?わからない以上、批判はせんでほしい。

頑張った健太、これからまた、夢で逢おうね…おやすみなさい♪