最初に


「自分以外の何者か」

「誰か」

 

になろうとしたのは

おそらく幼稚園生の頃で

 



おばあちゃんの家の

エレベーターの中で、


「かわいいね、お名前は?」



って知らないおばさんか

おじさんに聞かれた時

 

 

「さおり」

(※私の名前はみきえです。)

 

 


って答えたのを覚えてる。

その「さおりちゃん」って言うのは

色白で可愛くて

私と真逆な幼稚園のお友達だった。

  


ずっと

さおりちゃんみたいに

大人しくて色が白い子になりたいな

って思ってたのを覚えてる。


自分の名前も好きじゃなかったし。

 

 




それからかな

 



怒られないように

いい子でいるように

正しい道であるように

否定されないように

愛されるように

 


自分じゃない誰かに

一生懸命なろうとしてた。

 


この辺はさ

どの人も

たどる道なんだよね。

 


ありのままの私で最高!から

ありのままの私じゃダメなんだ

って言う体験が必ず子供の頃に起きて

 

 

頑張ろう

頑張ろう

頑張ろう

変えよう

変えよう

変えよう

 

ってする。

 


別にそれ自体は悪いことじゃなくて

必要なプロセスであって

恩恵を受けることもある

私もそうだった。

 

 

大人になって

私にとって起業は

何か人の役に立つことを自分で作りたい

って言う最初は

「作りたい」精神だったけど

  

 

だんだんと

ビジネススクールや

同業者との比較したり言葉を真似たり

どんどん「誰か」になろうとしてた。

 


 

だって

そこには「成功」と

「幸せ」があるだろうからって

一生懸命「高めよう」

「高めよう」ってしてた。

 

   

 

それで役にたったスキルもあったし

お役に立てたこともあったと思うけど

 

   

「幸せ」はいつもあるんじゃなくて

目標が達成したり、

お客様が変化したり、

 


何か「一瞬」「外側

のものだった。

  

 

それがなければ「不幸せ」と言うか

「自分を責める」だった。

 

 

 

言葉で今に幸せはあるって言うのは

知ってたけど

全然感じられなくて

幸せを探すワークもやったりした。

「ある」に目を向けるとかね笑

 

  


それでもやっぱり

幸せを「」に感じられなかった。

 


子供や旦那さんといても

幸せだなって思えることよりも、


あ〜あれやらなきゃって言う感覚

何ならそれを邪魔されてるって感覚の方が多くて

(今考えたら子育てや生活からの逃げなんだけど)

 

 


いつもポッカリ、

焦燥感に似たものがありながら

見て見ぬ振りして

それでも走らないともっと不安だったから

ここまで走り続けてきたけど

 


 

正直限界を感じた。

惨めさにも似た感覚

きっかけはこの前味覚と嗅覚が

なくなった時だと思う。

 

 


 

私は

感じたいんだよな。

 

 

私は

人間的な感覚を味わいたい。

 

 

私は幸せを、

毎日を感じたい。

 

 

目を合わせて微笑むことがしたい

美味しいを感じたい

嬉しいを感じたい

匂いを感じたい

温もりを感じたい

 

 

人とのワンシーンの繋がりを感じたい

自分の感覚や言葉に集中したい

 

  


私はお父さんのようにはなれない

私はお母さんのようにはなれない

私はあの人のようにはなれない

私は誰かのようにはなれない

 

 

 

ライフコーチの仕事も

自分が体験したことまでしか

私は人を招待することはできない。

 

 

それがカッコ悪くても足りなくても

汚くても泥臭くても

綺麗な言葉じゃなくても

キラキラしてなくても

普通でも 

 

 

誰かじゃなく自分の言葉を

紡いでいきたい。。

一つ一積み重ねていていきたい。

味わいたい。


 

 

 

そう思った。




何者かにならない

自分で生きる。

 

 

逆に、

 

何者かになろうとすればするほど

 

自信や幸せから

離れていくのかもしれない。

見えなくなる。

 

 

 

 

 

「さおり」と答えた日が幼稚園生で

4歳だとしたら…

 

 




 

 

30年以上かぁ。。

私、お疲れ様でした。

ありがとう。

頑張ってくれて。

もう充分だよ。

 


ありがとうね。