2004年に膵臓癌と診断された母と家族の日常をブログに書いております。

5/3からの続きになります。

母が永眠致しまして1週間。
葬儀の日です。

お通やの時間になり、其々が着席し参列してくださる方々がいらっしゃいました。
私は喪主ですが、泣いて泣きすぎてしまい、目が思うように開かず、参列してくださった方の顔をきちんと確認する事も出来ませんでした。

親戚、母の大学時代の友人、私の会社関係、私の友人等。
お食事の用意の場所へ行くタイミングも無く、きちんとご挨拶も出来ないままお通やが終わりました。
私は、泣きすぎて、目の痛み、頭痛、鼻と酷い症状です。
身内で軽く食事を摂り帰宅します。
母に触り、また明日ね。

私は帰宅して直ぐに、明日のご挨拶の言葉を考えなければなりません。
初めての事です。
気の利いた言葉も浮かびません。
いろいろと調べて、母のエピソードを話すことにしました。
文章を考えて、何度も直して。
練習しました。
早口にならないように。
泣いて話せなくならないように。
緊張して上手く話せないかもしれません。

パソコンで文章を調べておりましたら、
私の悲しみがふと楽になる話を目にしました。

有名な僧侶の方のお話です。

亡くなった人は、船にのって彼方の世界へ行く。
その船が着く岸には、先に亡くなった人達が皆んなで、手を振って出迎えてくれる。
だから亡くなった人は、寂しくはないの。 
生きている人も、ずっと悲しんでいてはいけないと。

そうなのかな?半信半疑です。
でもそれが本当なら、母を待つ、父親、妹、弟、祖父母、沢山の人がいます。
母は、33歳の時に病気で父親を亡くしました。
厄年は親を亡くすから気をつけて!と私に言っていました。
母は皆んなと久しぶりに再会出来て、嬉しいかなと。
亡くなって1週間は、親戚などの所に魂が彷徨うと聞いた事がありました。
私の従姉妹は、霊感が強く、母が亡くなった翌日に母がその従姉妹の所に行ったそうです。何か会話をしたとかはないようですが、夜中来たと彼女が話してくれました。
私の所には、来てくれたのかしら?
そんな事は、私には何も無かったです。

明日のお葬式、考えたくも無い。
花入れ、出棺、火葬。

本当に最後のお別れになります。

続く(5/5へ)