『何だかすき家のカレーですら、うまそうに見えるよ』
どうやら、彼はすき家や松屋のカレーは食べたことが無いのだが、とにかく すき家 のCMをみながらそう言ったのだ。
食べたことがないのに『すき家の……ですら…』とは、すき家に対して随分な物言いだな、と僕は思ったが、ひとまずそれに関しては何も言わなかった。
その日の彼はひどくご機嫌だったし、いつにも増して饒舌によく喋っていたからだ。
そんな時に、『食べたことがないくせに、すき家ですらなんて言い方は、すき家に対して、いや、日本の牛丼チェーンに大して失礼なんじゃないか?』などという下らない発言で釘を指すなんて、まるで ダイナミックな手さばきでチャーハンを作る料理人が燃え上がる炎の上で大きな中華鍋を振る横で 『あ、今ご飯粒が一粒こぼれた』、『あ、またこぼれた』
といちいち隣で 言い聞かせるくらい質が悪いし、何より相手がご機嫌な時は、こちらもご機嫌で応えるのが大人の流儀というものだ。
それに彼は単に小腹が空いていただけだという事は僕にもわかっていたし、彼の方も、世界における日本の牛丼チェーンの評価がいかなるものかという事は、むしろ僕よりもよく知っているのだ。そんな時は下らない釘指しよりも、会話を続ける方が良いというものだ。
とにかくそんなわけで、彼とはしばらくTVの前でとりとめも無い話をした。彼は僕よりも随分と年上で、彼の息子は僕と同い年だった。
その時も、同じ部屋にいた彼の息子は少し離れたテーブルの前に立っていて、何故自分と同い年の男が、こんな梅雨明けの蒸し暑い夜に、自分の父親とシラフで盛り上がっているのかと不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
僕はその息子の表情を見て、日曜の昼下がりにゴルフ中継を見ている父親を「何が面白いんだろう?」と横から見ている子供みたいだな、と思ったが、
彼の話がどんどんと先へ進んで行くので、風で飛ばされた帽子が川のせせらぎに流されてくのを追いかける様に 慌てて会話に戻った。
彼はCMでカレーが映ればカレーの話をし、プロ野球ニュースが始まれば野球の話をし、TVが自分の興味の外の話題になると、その合間に自分の仕事の経験談などを話した。
彼は優秀なホテルマンで、その道では「てんとう虫」と呼ばれていた。
