動くことだけが素晴らしいことでもなく、
じっとすることも、決断なのかも。
意識して、ひと息付いて
ただ、一歩下がって観察してみるような
そして
動けなくなることも
バランスなんだと思う。
心屋塾マスターコース83期卒
フローリストのmikiです
手作りのソイキャンドルを灯す
動けなくなるまで動いたら、
止まった。
慌ただしい日々と
喧しい頭の中だった。
だから、
そうなんやな〜と観察してみた。
西洋で
クリスマスにモミの木や柊などの
常緑の木々を設えるのは、
夜が長くて
死の世界との距離が最も近くなる、
とされているから。
太陽の光を蓄えた常緑の木々は、
その生命力で人々を守ってくれる
そういう考えがあったとか。
だとすると、冬至の頃の
私の沈み具合にも
自然現象かもね、と
どこか納得がゆく気がする。
祖父宅の冬支度。長男から送られてきた写真。
停滞しているものを
無理矢理どうにかしようとしない。
それも必然で、
そうしかならんもんは
今、ただそうなだけ。
それもきっと最善。
たとえ幸せを願っていても、
何が何でも!と力むと
それって〝圧〟なのだろうな。
あの人のことは、
私にどうにか出来ることではない。
私のことも、
あの人にどうにかしてもらうものではない。
あるとすれば、
自分が自分を幸せにする義務だけ
それは多分あるんやと思う。
今、どうしてたいんやろうね
今、どうしたいんやろうね
そこには正解も間違いもなくて、
そこには肯定を。
そして、
本当は誰に
何て言いたかったんやろうね。
ややこしくしてしまいがちな
〝本音とは、〟
きっとシンプルなんだと思う。
miki