56才。永眠 | 肺がんだった父。余命2ヶ月と宣告されて

肺がんだった父。余命2ヶ月と宣告されて

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6月5日、金曜日。

この日、父は帰らぬ人となった…






この日も診療所の先生が診に来てくれた。


父は寝たきりで、声かけにも反応はなく、目は開いたまままばたきすらせず、天井の一点を見つめたままだった。

水分すら飲み込むことができず、このまま弱ってしまうのではと心配で心配で、先生に伝えると点滴を入れてくれる事になった。


しかし、血管はボロボロで腕も足も入らず、…
最終手段ということで、首の大きな血管から入れることとなった。

首に点滴の針を刺すなんて父は痛いに違いない…でも、それでまた元気になるならと、私にとっては小さな希望でしかなかった。


この日も学校から帰宅した子供たちを迎えに行き、実家に泊まることにした。
そして入れ違いに、この日は週末お店を開けるための準備に、母は買い物に出掛けた。


寝返りすらできなくなった父。
同じ姿勢でおしりが痛いだろうと思い、2時間おきに体制を変える。

父の眉間に少しシワがより、痛そうな表情をするので申し訳なくなる。

母が戻る。

私は父の横に座って、なぜだか離れられないでいた。


すると、父の呼吸がおかしいことに母と気づく。

明らかに呼吸の時に喉仏が動く回数が減った。

母が、あわてて先生に電話をかける。
そして、二回にいる祖父母を呼びに行った。



父の右目から涙が一粒流れ、私はそれを拭き取った。
そして、そのあとすぐ、私は父の細く弱々しくなった左腕をつかんだまま、父の喉仏の動きが止まった…


もう、動かない…




それから15分ほどして先生と看護士さんが到着した。
弟もちょうど帰宅する。

みんなで体を拭いて着替えさせ、お座敷に敷いた布団の上に父は寝せられた。


その一連の動作を、先生や看護士さんはもちろん、祖父母や母は慣れたような手つきで行った。

私は一人、なにもできずただボーッとそれを見つめていた…