恋することはいつものこと | ひめごとおかうち

ひめごとおかうち

いままでのサーバーが故障中のため、

復帰まで、一時的に、ここでHPを再開しています。

あんまりくよくよしない人が落ち込んでたり、
悩みなんかなさそうな人の心がはちきれそうになってたり。
いつもは背筋をぴんと伸ばして、
みんなのことを明るく照らしている人が、
ふと、自分に弱音を吐いてくれると、
どうしても何が何でも、力になりたいと思う。
私にとっての恋とか、片想いって、
そういう感情。
普通の人は恋って言わないのかな。
そんなんだったら、自分が何人いても足りないし、
何人の人のことが好きなんだろうってことになるし。
でも、私にとっては、
生きてると生まれてくるたくさんのめんどくさいことや、
どうしようもなくくだらない幸せな瞬間のこととか、
いろんなことを、
ふたりで裸になって話せることが、
1番大切で、
そういう時間が心地よいと、
その人を好きになるんだなと思う。


1999年、まだパソコンがひとり1台ではない時代から、
ここで文章を書いてきた。
それは、先輩のHPの中の1コーナーで、
だから、自分のページではなかった。
2000年になって、自分のHPというものを、
独立して創っていただいた。
そのときは、えらく感動したものだ。
それから、数年して、
たくさんの人が自分のブログをもっている時代になった。
今、2010年現在は、何をしているかを、外出先からでも、
全世界につぶやける時代になっている。


昨日、何をしたのかとか、今、何をしているかとか、
私は、そういうことを書きたくて、
この「ひめごとおかうち」をはじめたわけでない。
字が上手に書けない頃から、
自分の気持ちを文章にして書くのが好きだったから、
舞台上で演じるだけでなく、
書くことで何か表現できたらいいなと思って、書きはじめた。
だから、私は毎日は書かない。
もちろん、書こうと思ったら、書けるわけで。
日記というわけではなく、活字で何かしらを表現して、
読んでくださるあなたに届けてみたいと思っているから。
劇団のSNSには、毎日のように書いている。
そっちは、写真とかも載せる日記。
つぶやいたりも始めた。
それらは、もっともっと気楽に届ける文章。


もちろん私はここに自分の思ったことを正直に書いている。
自分なりに。
でも、思ったことをそっくりそのまま書かない。
書かないようにはしている。
まだあんまり世の中の人が日記を公開したりしない頃、
ここで書くことにいちいち批判が届き、
それがとても辛かった。
何のために誰のために書いているのかわからない時期もあった。
本当の気持ちはやっぱり書いてはいけないのかな。
嘘やきれいごとを、何のために書くのだろう。


ときどき、身近な人に、あれはどういうこと?
知らないうちにどんな恋をしてるの?みたいなことを聞かれるけど、
だから、あれがこうで、
そうだから今回は、こういう表現をしたって説明すると、
ははぁ~んってことになったりしてきた。
わかる人にはわかる内容だったり、
私の恋愛事情をすべて知っている、
姉や母親が読んでも、はてなって内容だったりもする。
私はちょっと変わってるので、
人を好きになるなり方も、
たぶんだいぶ変わってるので、
いろいろ心配かけてるかな。
へんな心配かけてごめんなさい。


でもね、これだけはちゃんと本当で、
いつも私は恋してる。
恋することはいつものこと。


人に腹を立てるとか、いやな思いをさせられるとか、
人を憎むとか、人に憎まれるとか、
悲しい、不安だ、淋しい、苦しい、
自分の心がマイナスな感情に溢れてしまうこともあるけど、
そういうときも、表現する欲求がむくむく出てきて、
文字にすらすらなってしまうこともたまにあるけど、
最近の私は、とにかくプラスの感情が、
どばぁ~~~っと溢れて、
文章を書きたいなぁと思っている。
誰かを想って、
片想いかもしれないけど想って、
幸せに生きてみると、
あら、不思議、
人を好きになるようなことばかりな毎日。
それだけ、私の周りには素敵な人がいっぱい集まってくる。


恋するといいことしか起こらない思う。
振られて泣いても、
その人を好きになれて、出逢えて、よかったと思う。
そしてまた、出逢うために振られたんだと思うような、
新しい出逢いがやってくる。


恋する未来は明るい未来。
幸せだったり弱音を吐いたり、
恋したり恋されたり恋したり恋したり。
何でもいいから感情を動かすと、
いいことが起こるような気がするんだ。
たぶん、ね。   つづく


人がどこで何をしているのかわかりやすい時代、
片想いの女の子はそれでいろいろわかって傷つくこともある。(独り言)