四月から続けてきた「連作ビリージーン」シリーズですが、
今回で締めです。
 
「あの子は僕の子供じゃない」
 
ハイセンスでノリのいいポップの至高の名作ビリージーン。
世界中の人に愛されるマイケルの代表作の詞をよく読むと
この部分で誰もが軽い衝撃を受けますよね。
 
コメントをいただいた方の中にもそうおっしゃる方が多いのですが
私も実は数年前になって「わっ」と驚いたくちです。
 
でもそのショックlがマイケルの世界をもっと知りたいという
きっかけになります。私が単なる訳詞から、もっと深く音楽を分析したくなったのもビリージーンのこのセリフがスタートポイントでした。
 
「マイケルジャクソンの思想」というブログを運営しておられる
東大教授の安富歩さんは、マイケルの没後「デンジャラスツアー」の
映像を見てマイケルに目覚められたのですが、
「マイケルは見る者を無意識の世界に引き込む」とおっしゃっています。
 
音で、映像で、踊りで、衣装で
人々をはっと目覚めさせ、心の奥深くに大きなメッセージを送り込むマイケル。
 
マイケルと人間の心について今回は書いてみたいと思います。
 
先回の記事にも書きましたが、マイケルは心理学
特にフロイトやユングに造詣が深かったと伝えられています。
フロイトやユングの心理学ではこの「無意識」の問題が核になっています。
 
無意識と集合無意識
 
過去記事にも書きましたが、マイケルはSFの中でファンタジー(無意識の世界)に入るとき、ドアを開けたり階段を上り下りをするメタファを使っています。
リアリティー世界(顕在意識の世界)とファンタジーが矛盾することなく
隣接し、両者を行き来することができることを表現するとともに、
見る者を普段その存在に気が付かない異世界へと誘うのです。
 
無意識の世界は、社会の中で生きていくためにかぶったペルソナを脱ぎ捨て
自由に想像力の羽を伸ばし遊べる世界。
押し込めてしまった子供心や純粋さがここにある。また神とつながりを持つことも可能な世界と言われています。
 
また、無意識のもっと深いところには、人類共通の記憶が蓄積された
「集合無意識」の世界があるとユングは考えました。
 
マイケルの詩、「Heaven Is Here」の中にこんな一節があります。
 
 
 
You and I were never separate
It's just an illusion
Wrought by the magical lens of
Perception
僕と君が離れ離れだなんてあり得ない
それはただの思い込み
認識のレンズの魔法が仕組んだ
巧妙なトリック

There is only one Wholeness
Only one Mind
We are like ripples
In the vast Ocean of Consciousness
すべては一つにつながっている
意識は一つにつながっている
僕たちはひとつひとつのさざなみ
広大な意識の海の上の
 
 
 
広大な意識の海があってひとりひとりの意識がそこでつながっている。
これがユングが発見した「集合無意識」のことだと思って訳をしたのですが、
訳した当時はマイケルがユングに詳しいとは知らなかったので、
はっきりとユングの名前を出すのは控えていました。
 
でも、ユングの心理学を知れば知るほど、SFの解釈がしやすいのです。
そこで「マイケルはユングを相当勉強して作品に応用している」と考えて
ユングについていろいろ調べてきました。
 
マイケルがユングの心理学を応用しただろうと思われることは
ビリージーンの中で言うと、「元型(アニマ)」をベースにした人物造形です。
 
マイベイビー    ロマンチックなアニマ
ビリージーン    生物的なアニマ
 
マイベイビーは女の子らしくて優しく、恋愛の対象として大事にしたい存在。
ビリージーンは本能的な性的欲求を満たすタイプ。
 
この相反する二つの女性のタイプにどちらにも魅かれてしまう心理を
物語として描いていると考えると興味深いです。
 
ビリージーンの後マイベイビー型の女性は求愛を拒み神聖さを帯びる
「霊的なアニマ」(Give In To Me, Invincibleの女性像)へと変容します。
 
アニマは男性が心の中に持つ女性性。
成人に近づくにつれ無意識下に押し込めて、男性らしさを身に着けますが
その心の中の女性像を、恋愛の対象となる女性に投影するのです。
 
アニマが生物的なところから霊的なところまで成長することは
女性との関係も幼いベルからだんだん成熟することを表すようです。
 
女性の場合は、アニムスという元型を持っています。
 
僕とマイベイビーは愛し合っているのでしょうが、ビリージーンの登場で
あっさりその関係は崩れてしまいます。僕とマイベイビーもロマンチックな関係ですが、まだ困難や課題を乗り越えるほど関係が成熟していないのです。
 
でもマイベイビーは簡単に愛を受け入れない知恵を身に着け、そして
美しさも魅力も磨き上げ、改めて「ユーロックマイワールド」で愛を成就します。
 
もうこのころは「ベイビー」などと呼ぶのは違和感を感じるような
完成された女性になっていますね。
 
男性原理と女性原理の統合
 
ビリージーンからユロクマにまで至る長い道のりは、
男性原理(魅力的な女性にたくさん出会いたい)と女性原理(一人の男性との愛を守りたい)のぶつかりあいや葛藤です。
 
ユングの心理学では対立するものの融合が大きなテーマの一つになっています。
 
元型はタイプ分けだけのものと考えると、血液型占いみたいに人間をパターンで分類するものにすぎなくなってしまいます。
 
でもユングが元型を用いて理解しようとしたことは、分類ではなく
人間の人格の変容(成長)でした。
 
マイケルも類型的な人物パターンを用いて神話的な物語を書いたわけですが、
悪者VS善人の勧善懲悪や、純愛ラブストーリーだけを作りたかったのではないと思います。
 
錬金術師が異なる金属を組み合わせることで、金を作り出そうとしたように
男性と女性が愛し合うことで、人格の変容と成長が成し遂げられるということを
マイケルは描きたかったのだと思います。
 
長い時間をかけて、一つのカップルが成立するということだけではなく、男性が優しさを身に着けたり女性が強さを身に着けること。
 
また、ビリージーンの存在は、善良なタイプのマイベイビーから見ると
まったく正反対の憎むべき女性像です。しかし、自分と正反対のタイプの人から
自分にないものを取り入れ、統合することでマイベイビーはますます素敵な女性になります。
 
逆にビリージーンもマイベイビーから何かを得ているかもしれません。
 
ユロクマに出てくるヒロインは面白いことに
ビリージーン+マイベイビーみたいなタイプになっているんですよね。
彼女はどう見ても裏社会に生きる男の情婦。でもビリージーンみたいにマイケルが演じる男性を誘惑したりだましたりするキャラクターではなさそうです。
 
男性も彼女の外見的な魅力にひかれますが、すぐにはなびかない賢さに気づき
真剣に彼女を愛するために闘います。
 
とうとう見つけた完璧な愛。
 
この言葉でもわかるように、ビリジン~ユロクマの長い旅路は
振り返ってみると本当に壮大な心の成長の長い道のり。
 
しばらく集中して書いてきたのでなんだかこの三人のキャラクターに愛着がわくのですが、それぞれ三人とも欠点もあるけど個性的。ぶれることなく自分らしく生きているのだけれど、この三人が出会うことで化学反応をおこし、互いに影響し合って
変化し、成長していく。
 
 
男性と女性
一人の女性の中の精神性と官能性
 
これらの異なるものが融合するとき、変容(チェンジ)が引き起こされる。
 
CHANGE
 
それはマイケルノ作品だけではなく、マイケルという人物の人生においても
キーワードとなる重要なファクター。
 
  世界を変えたいと思うなら、鏡の中の男(自分)からまず始めよう。
 
マイケルが引用した「カルメン」でも
主人公ホセとカルメンは互いに相手が自分にないものを持つことに気づき
惹かれあいます。
 
しかし、物語は自分を変えようとして関係から歩みだす女性を、
自分を変えられずに相手を変えようとする男性が殺してしまう悲劇を引き起こします。
 
マイケルは「カルメン」を下敷きにしながらも、登場人物それぞれが
「相手ではなく自分を変える」成長を遂げさせたかったのではないでしょうか。
 
連作「ビリージーン」は「カルメン」をこれほどにまで意識しながらも
悲劇にはしようとしていなかったと思います。
 
男も女も変化することで、
一番大切なもの
「子供」=愛
を守るんだ!
 
そうマイケルは言っているような気がします。