マイケルの双子。。。
と言っても、マイケルがもう一人いるってわけじゃないんです。(いたら嬉しいけど♪)
マイケルの作品群の中には、明らかに
「二つで一つ」
という考え方で作られてるものがかなりありそう。
クラシックで言えば、組曲みたいな考え方ですね。
たぶん、ポップスではこういうことをする人はあまりないので、
マイケルの独自性と言ってもいいかもです。
「Cry」と「Shout」の強い結びつきに気づいてからは、
今まで「そうかも」ぐらいに思っていたのが、「確信」に変わってきました。
マイケルが強く意識していたと思われるベートーベンは
交響曲を奇数番号と偶数番号(1番と2番、3番と4番)でひとくくりにしていた
というのが定説です。
マイケルならこのことを当然知っていたでしょう。
今まで気が付いた双子たちを書いてみたいと思います。
「にこいち」で考えると、メッセージがより明確につかみやすいんじゃないでしょうか。
Is it scary?と Ghosts
詳しくは過去記事をご覧くださいませ。
半音階(クロマティックスケール)をぱかっと割ってできたさびのメロディー
を共有する、まさに一卵性双生児ちゃん。
怖がらせて、面白がらせて、そして大事なメッセージを伝える
サービス精神満載の曲たちです。
Black Or White と Give In To Me
ブラホワのすっぽぬけるほど明るいメロディー、ソドミファミドソ、をまんま
短調にしたらあのセクスイーなGITMのミラシドシラミになる。
こちらは音の二卵性双生児?性格は極端に真反対。
ブラホワはメッセージがパワフルすぎて、曲のカッコよさ完成度の高さがかすむほど。SFも語りすぎるほど語ってて、パンサーシーンでは曲自体なくなってしまう。
音楽に焦点が当てにくいなんとももったいない話。曲もすごくいいのにね~~~。
そこで、マイコーはGITMでメッセージ性よりも音楽としてのロックの美しさ、官能性を前面に押し出すことにしたのかも。
理解しなくていい、ハートで感じて、愛は感覚。。。。
Your words are just not enoughという歌詞は饒舌なブラホワに対する「ひとりノリツッコミ」だわね。(笑)
そういえば、SFのマイコーは踊ってない。たぶんこの曲でも踊ろうと思えば
踊れるはずだ(爆)
何もかもが真逆なこの二つの曲。
SFの衣装の色も注目かも
シャツの色はモーフィングまで白白、パンサーダンス黒白、GITM黒黒と変わってますよね。マコーレの奏でる「ロック」を「ゴミ!」と親父に罵られて、写真の中から
飛び出したマイコー。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190603/16/miki0005/5e/4f/j/o0500072714421383385.jpg?caw=800)
「黒人の音楽であるロック」への偏見は許さないんです。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190603/16/miki0005/a4/dd/j/o0300049714421383396.jpg?caw=800)
でも最後はうっとりするような「Give In To Me」で暴れすぎたことへのお詫び?
「ガールズごめんね。僕、暴れすぎて車とか壊しちゃったよ。
こんな僕の愛を優しく受け止めて☆」
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190603/16/miki0005/59/c2/j/o0500077814421383401.jpg?caw=800)
キュン死しそうなほどせくすいなマイコー、
そりゃ奥様あなた
このマイコーも「黒豹」ですものお。
ロックは愛なんだよね。
Wanna Be Starting Something と Bilie Jean
WBSSの「ビリージーン」という名前は単なる記号ではない。
BJのSF内容は曲とは合っていないことを指摘されることは少ないですが、
「マスコミ批判」はWBSSのテーマであることはマイケル自身が語ってますね。
SFを共有する形でつながるこの二曲。
BJで「この子はぼくの子供じゃない」と切り捨ててるようでも、
WBSSでは狡猾なシングルマザービリジンの産んだ子供のことを(他人といえ、)死んでしまうのではないかとまで心配しているわけです。
その真摯な思いをよそに、「スキャンダル」を狙ってハイエナのようにうろつく
マスコミの馬鹿さ加減。
二つの曲をつなげてみると、より深く大きなストーリーが浮かび上がります。
あのBJの赤ちゃんのことをマイケルはちゃんと心配してるんですよね。
何より子供のことを愛し、命を大事にするマイコーらしいです。
創作の世界のこととはいえ、そこのところに筋を通してます。
自分の子供をレバレッジにするずるい女の子やくだらないマスコミは
命を粗末にしてるんだよ(「The Baby’s Slowly Dying」)
ということが一番言いたいんでしょうね。
自分の苦しみよりそちらのほうが大事なマイコーなのです。
ビリジン一曲だけ見ると、ちょっと身勝手な男の話じゃない?
っていう見方もされがちなのだけど、やっぱりマイコーはマイコーです。
Blood On The Dance Floor と Super Fly Sisters
ビリージーンをしのぐほどの強烈なキャラ「スージー」でつながるこの二曲
詞の訳がまだなので、そちらを済ませてからまとめたいと思っています。
「完璧な愛」と呼ばれるマイコーの「理想の女性像」を聖母マリア的とするなら、
スージー、ビリー・ジーン、アニーはマグダラのマリア?
魅力的だけど、人間的な弱さやずるさも持つ「世俗のマリア」たち。
マイケルの成長に伴って変化を遂げる生々しい女性像について考えています。
スムクリのアニーは、YRMWで救出された。。。。?なんてふと思ったりして。
Jam と Heal The World、 Shout と Cry
例えるならば、ベートーベンの「運命」(交響曲5番)と、「田園」(6番)
の関係性で結ばれているのではないかというのが、私の現在の仮説。
ちょっと長くなるのでこちらは次回に。。。。。。