最近日本でも10月の終わりにはハロウィーンのお祭りを楽しむと言う風習がすっかり定着しましたね。先月「ET」が放映されたのを見て、ちょうどこの映画の中でハロウィーンを楽しむ風景が出てきて、この映画が上映された頃は、まだ日本では珍しいものだと感じたことを思い出して懐かしい思いがしました。
さて、マイケルの「スリラー」をハロウィーンの頃に踊ると言うのは、アメリカではマイケルが亡くなる前から定着していたようです。元々「ハロウィーン」は死者の霊が甦ると言う、カソリックの「万霊節」というお祭りと、ケルトの文化が結びついたものなんです。
「スリラー」のSFの中ではゾンビ達が甦ってダンスを踊る場面が人気ですから、なんとなく「ハロウィーン」に結びつくのでしょうね。
「死者の霊が戻る」という伝説や祭りは世界中どこにでもありますが実はこの「ゾンビ」というのは西アフリカの文化にルーツがあります。ここにもマイケルは黒人文化にまつわるメッセージを込めているのではないでしょうか。
「ゾンビ」について調べようと思うとどうしてもオカルトチックな本やサイトに行き着いてしまうので、オーソドックスにWikiから引用してみました。そのままの貼り付けでごめんなさい。ちょっと長いです。
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「ゾンビ」
ゾンビは「生ける死体」として知られているが、元来の意味は「お化け」や「妖怪」、「物の怪」といった意味だったらしく、『実体を持った物の怪の全般』を指す。ヴードゥー教のルーツとなる、ヴォドゥンを信仰するアフリカ人は霊魂の存在を信じているが、これは目に見えないものとして当たり前だと捉えられている。
「ゾンビ」は、元はコンゴで信仰されている神「ンザンビ(Nzambi)」に由来され、「不思議な力を持つもの」をンザンビとして呼ばれており、人や動物、物などに対し、使われていた。これがコンゴの奴隷達により、中米・西インド諸島に伝わり、「ゾンビ」と呼ばれるようになり、「不思議なもの」→「妖怪」へと変わっていった。
ゾンビパウダー [編集]
ゾンビを作るにはゾンビ・パウダーというものが使用される。この主成分はフグの毒の成分であるテトロドトキシンであり、この毒素を傷口より浸透させる事により仮死状態を作り出す。毒素の希釈が丁度よければ、薬と施術により蘇生することが出来る。毒が多量であれば死に至る。仮死状態であると、酸欠により脳(前頭葉)にダメージが残ってしまう。自発的意思のない人間――つまり、ゾンビを作り出すことが出来る。こうして言い成りになったゾンビは奴隷として農園で使役され続けた。
死者を蘇らせるというよりは幻覚剤の一種を用いて、生きた人間の記憶や意志を奪って使役する術であるという説もある。他にも麻酔の一種を用いて、仮死状態にさせて死亡したかのように見せかけ、更に麻酔が覚めた人をまるで生き返ってきたかのように見せるという説もある。
伝統的な施術 [編集]
この術はヴードゥーの司祭の一つであるボコにより行われる。ボコは依頼人により人を貶める生業をしている。ボコは死体が腐り始める前に墓から掘り出し、幾度も死体の名前を呼び続ける。やがて死体が墓から起き上がったところを、両手を縛り、使用人として農園に売り出される。魂は壷の中に封じ込まれ、以後ゾンビは永劫、奴隷として働き続ける。
死人の家族は死人をゾンビにさせまいと、埋葬後36時間見張っていることもあれば、死体に毒薬を施したり、死体を切り裂いてしまうこともある。死体に刃物を握らせ、死体が起き出したらボコを一刺しできるようにする場合もあるという。
実情 [編集]
名前を呼ばれた程度で死体が蘇るはずもなく、農民達による言い伝えに過ぎない。しかし、ヴードゥーを信仰しているハイチなどでは、未だに「マーケットでゾンビを見た」などの話が多い。また、知的・精神的障害者がたまたま死者に似ていたため、『死亡した人がゾンビ化される事例がある』などとされることもある。
先述したゾンビ・パウダーの起源はナイジェリアの少数民族であるエフェク人やカラバル人に由来するものであるとされる。西アフリカ社会では伝統的な刑法としてこの毒が用いられており、これが奴隷達により西インド諸島に持ち込まれた。『ゾンビ・パウダーにはテトロドトキシンが含まれている』といわれているが、実際にゾンビ・パウダーに用いられるのは、毒を持つフグではなくハリセンボンである。また、ゾンビパウダーの使用法は身体に塗布するものであるため、テトロドトキシンで仮死状態にするという仮説には無理があるとの指摘もある。
『ゾンビ化』は、嫌われ者や罪を犯した者に対し、制裁を加えるための行為であった。また、刑罰という側面に鑑みるに、この場合の『死者』とは生物的なものではなく、共同体の保護と権利を奪われる、つまり“社会的な死者として扱われる”ということの寓意ではないかという説もある。
このブログでも何度か書いたのですが、アメリカにつれてこられた黒人奴隷は、
西アフリカで捉えられ、奴隷船でまず西インド諸島に送られました。そこで英語を教えられ、そこからアメリカ本土に売られるもの、西インド諸島に残るもの、中南米などに売られるものに分かれたようですね。ですからハイチの文化をマイケルが関心を持っていても不思議はないのです。
ゾンビは80年代以降のホラー映画では大人気で、元々どういうものだったかは忘れられていったと言うのか、元々あまり知られていなかったような気がします。
wikiの最後に書いてあるように、「社会的な死者」であったり、「人権や意志を奪われ奴隷として働かされた」黒人達がゾンビである、と考えると、マイケルの言いたいことが見えてくるような気がします。
アフリカから奴隷船に詰め込まれ、アメリカに連れてこられた黒人達は、家族を奪われ、言葉を奪われ、名前を奪われ、物のように扱われて奴隷として働かされました。
その苦しみを紛らわせる手段として、また言葉の代わりにコミュニケーションの手段として歌われた歌や、刻まれたリズムは黒人奴隷達の苦難の歴史を伝えるタイムカプセルのような働きをしてきたのだと思います。
奴隷解放後も十分な教育が受けられず、読み書きのできない人が多かったことを考えると、黒人音楽というのは歴史書や小説や記録の代用品でもあったでしょう。私はこのブログを始めてから、黒人音楽に関する本やテレビ番組でいろいろ調べてきて感じるのですが、私達が思う「音楽」というものよりはるかに「黒人音楽」というものは
文化的社会的な役割が大きいのだと思います。
「スリラー」の詞の中やSFで表現される「墓の中から死人が甦る」というイメージは、陰に追いやられていた自分達の祖先とその歴史や文化を、正当な場所へと引き出したいという思いを託したのではないかと考えずにいられません。
もっと深読みすると、逆襲?ともとれるのですが、SFの最後を見ても少しユーモラスでどっきりするようなエンディングを用意してあって、そのあたりは穏便にまとめているなと思います。マイケルも人種間対立を煽るような気持ちはなかったでしょうしね。
あくまでも自分達の文化や歴史が正当に評価されることを願っていたのではないでしょうか。
ゾンビ映画の元祖。ジョージ・A・ロメロ監督の「ZOMBIE/Dawn of the Dead」
1978年に公開され人気を博した。このころから「ゾンビ物」って流行りましたよね。
このゾンビたちの特殊メークって迫力ありますよね。↑のロメロ監督の「ゾンビ」君と比べてもはるかに凝っています。それからゾンビが踊ってる間にオラ・レイちゃん逃げろよ~っていつも思います。ダンスに見とれてます?