前回までのシリーズ記事、何だか長くなりましたが、お読みくださったみなさま、ありがとうございました。

今回は、何度も話題に上がっている「教材(教科書)」について。

 

前回「みんなの日本語」という教科書について触れました。

誤解していただきたくないのは、この教科書が「ひどい教科書」ではない、ということです。

 

むしろ、ものすごくよく考えられていて、細かいところにまで配慮が行きとどいた、すごい教材です。

ものすごくたくさんのことが盛り込まれています。

新人の教師が、この本の意図を隅から隅まで把握して教えるのは、至難の業。

もし、この教科書でしっかり教えている学校に勤務するなら、しっかりと教科書分析をしてから臨んでほしいと思います。

(時々、ベテランのはずの教師でも、把握していない人がいます。本人は、このくらいで大丈夫、と思っていても教材研究が足りていない場合があるんですよね。)

 

どうやって教材分析するんですか?とか、どこかにそういうガイド本みたいなの、ありますか?などよく新人の教師から聞かれますが、残念ながら、そんなモノはないんですよね。。。

全て、自分で、教科書や副教材(教師用マニュアルや文法解説本、文型練習帳など)を隅から隅までよーく見て、把握するんです。

 

 ・この課で教えたい文型は何なのか。それは前後の課とどのようにつながっているか。

 ・新出の単語や表現はどれなのか。

   (この辺りは、一応「教師用マニュアル」や「翻訳・文法解説本」にも、載っています)

 ・この練習(主に「練習B」「練習C」)では、どんなことを練習させたいのか。

   (練習の意図を推測することによって、文型の理解も深まります。)

 ・最終的に、どんなことができるようになることを意図してこの課のこの文型を扱うか。 

   (これは、課の最初のページにある「文型・例文」や「会話」のところから推測する)

 

などなど様々なことを考えたうえで、1つ1つの文型の導入をするのに最適な場面や状況を設定し、わかりやすく文型を提示していく。。。

 

・・・というのが、この教科書の正統的な使い方です。

 

ですので、実は、ちゃんとこの教科書を使おうと思ったら、教師は準備がけっこう大変なはずです。

しかも、「文法積み上げ式」(=簡単な文型から習っていき、だんだん難しくなっていく。)なので、ちゃんと、自分の担当する課より前の課のことも把握しておかなければならない。

 

1課~25課を何回かやったあと、26課~50課をやると、「あー、あのとき〇課でやったことって、こういうふうにつながってくるんだー」ということがわかるようになります。

さらに中級を教え始めると、いかに「初級1・2」レベルの文型が大事だったか痛感します。

 

その後、また初級レベルを担当すると、さらにレベルアップした授業をすることができるようになる(もちろん、教案は作り変えなければなりません!)・・・という感じで、日本語教師も成長していきます。

 

ここまで読むと、「えー日本語教師って大変!」と思われるかもしれません。

ですが、まあ、どの教科書を使うにしても、このくらいの教材分析は必須ですので、その点においては他の教科書でもあまり変わりはないかな・・・。

 

なので、世界中で使われている理由は、そこではありません。

 

まず一つ、日本国内で使われている理由は、副教材(文法練習用の練習帳、課に準拠した漢字教材、13か国語以上で出されている「翻訳・文法解説」、聴解、読解、作文教材。さらには授業で使う絵カードまで!)が充実しているということ!

教師が自分で練習プリントなどを作らなくても済むし、イラストをどこかから探してこなくてもいい。

これは、本当に楽です。昔、自分で練習問題まで作らなければならない学校に勤務していたことがありますが、これは、本当に大変でした。新人だったこともありますが、まず、上に書いた教科書分析をして、文型の分析をして・・・それだけでも大変ですが、さらに、授業案を考えて…からの練習問題作りですから!

(でも、自分で練習問題やテストを作らなくなると、何だかあまり深く考えなくなってしまい、ちょっと自分の知識が浅くなったように感じました)

 

そして、もう一つ。

教科書の作りが、それぞれの文型ごとに「導入→練習→会話」となっているので、区切るのにちょうどよく、次の日に教える先生への引継ぎがしやすい。つまり、学校のような機関ででティームティーチングを行うのには適しているんです。

これは、とても便利です。日本語学校では、週5日、1日4時間(4コマ)の授業があるので、一人の先生が毎日、全時間教えるということはありません。二人か三人の先生が交代で担当します。

その時に、引継ぎが楽なのは、便利なんですよね・・・短時間ですむので。

 

海外で使われている理由。

主にアジアで使われているのですが、これは、単純に、現地の先生たちが「みんなの日本語」しか教科書を知らない、ということが大きいです。

現地で教えている非母語話者の先生たちは、日本で「みんなの日本語」で教わっている可能性が高いので、その本なら、自分も教えられる、というわけです。

あとは、現地では、日本で売っているような正規の本は高くて買えない。

「みんな~」は、現地のどこかの会社がコピーしたペーパーバックみたいな紙質のものが出回っています。学生たちが持っているのは、みんな、それです(笑)

 

この他に、いい点を挙げておきます。

ちゃんと、教科書分析、文法分析をしたうえでこの本を使うなら、

「文法」の習得には役立ちます!

 

何しろ、「文法中心」に作られている教科書ですから!チュー

初級の文型や語彙は、副詞や接続詞に至るまでしっかり学べます。

(しつこいようですが、教師が全部を把握していれば、です)

なので、趣味などで日本語を勉強していて、日本語の「知識」をつければいいような人には向いていると言えます。(ただし、独学でできないのが難点です。この教科書は、本当に「教科書」。先生がいないと学びにくいですね)

 

では、なぜ、前回のブログで、もう卒業したーい!と書いたのか。

それは、

今の言語教育の主流は「知識をつけること」ではないからです。

その言語を使って、コミュニケーションがとれるようにすること、

あるいは、

言語を使って何かができるようになること

 

世界の流れは、もう何年も(何十年も?)前から こうなっています。

 

このような視点から見ると、「みんなの日本語」は、そのような作り方をされていないので、不向き、と

言わざるを得ない、ということになってしまうのです。

 

しかし、ですね!

 

タイトルにも書いたように、実は、教科書というのは、ただの「道具」に過ぎないものなんです。

日本語教師のみなさんなら聞いたことがあるかと思いますが、

 

「教科書」教える、のではなくて、

「教科書」教えるんです!

 

それがそんな教科書であろうと。実は、教師の工夫一つで、コミュニカティブなものに変身させることだって、できるんです!

「練習B」にあるような、ただの変換練習は省いて、場面設定したロールプレイを入れるとか、オリジナル会話を作らせるとか、いくらでもやりようはあるはずです。

 

でも、残念ながら、「みんな~」を使ってる学校のほとんどは、それをしていない。

いや、もしかしたら、それができる教師がいないのかもしれませんね。

発想が足りないか、スキルがないか・・・

 

または、そういう教科書から外れたことをやりたくでも、「予定表」にあることをこなすだけで時間がいっぱいになってしまって、時間がなくてできない、という先生もいるかもしれません。

「授業予定表」なんて無視して、学生たちが上手に使えるようになるまでやるのが本来の授業のあるべき姿だと思いますが、「日本語学校」って、なかなかそういうわけにいかないのが現実なんですよね。

 

「予定表」にあることを終わらせないと、次の日の先生がそれをやらなければいけなくなり、そうすると、どんどん予定がズレてしまう。。。ショボーン

 

よく、日本語教師たちが言う言葉は、「次の日の先生に迷惑をかけられないから。。。」

 

非常勤となると、ますますですね。

とにかく、今日、やれと言われていることをやり終えなければ。。。

という思考が先に立ちます。

 

そうなると、もう、ずっと、ただただルーティーンのように、「みんなの日本語」に載っている例文や練習問題の字面を追っていくだけのような、つまらない授業になってしまうのです。

まさに「教科書を」教える 状態。

 

おそらく、これが、ほとんどの日本語学校の現実。

学校側がこのループから抜け出せないのは、上述の「教師にとっての便利さ」と、若手の先生たちの「勉強不足」。

 

昔ご一緒した同僚は、「みんなの日本語使ってると、バカになるよね」と言っていました。。。

 

たしかに、副教材が便利すぎて、教師が自分の頭で考える、という一番大事な部分が奪われているように感じます。

 

そして、あの教科書をやっていると、あまりにも細かいことまで教えるように要求しているので、そのうちに、あのくらい細かく教えないと(あるいはあそこに載っているものを全部こなさないと)、ちゃんと教えた気がしない、という負のループに陥ってきます(笑)

さらには、ああいう教科書の文型導入のやり方(←経験者にしかわからなくてすみません)をしない教科書があったりすると、何か物足りなく感じられる、ということもあります。

 

ずーっと前の記事にも書いたと思うけど、これが、「みんなの日本語」の呪縛。ニヤニヤ

 

こわい。こわい。

人間の習慣や思い込みって、本当に怖い。

そうやらなきゃいけないなんて、誰も言ってないのに。

 

だから、もうやめた方がいいと思うんです!

 

しょせん、教科書なんて、道具の一つです。

あの教科書を「道具」としてうまく使いこなせる教師だけがあれを使えばいいと思う。

 

何よりも、世の中の流れに乗っていない(というかそういう風に教師が使わないのが悪いんだけど)教科書で日本語を教わることになる学習者がかわいそうです。

教師が楽、という理由であれを使い続けるなんて、ナンセンス!

 

もっともっと、学習者のことを考える日本語教師が増えてほしい。

 

言語を使って何かをする。できるようになる。

 

これって、ことばを学ぶ上での最大の喜びじゃないですか?

本来は。

その喜びや楽しさを、もっと学習者に提供しましょうよ!!

 

アレンジできる人は、「みんな~」でも何でもいいです。

そうじゃないなら、もういい加減、「文法積み上げ式」の教科書はやめて、もっと本来の目的に合ったものを使いましょうよ!

 

ただ、それだけのことですニコニコ