前回のhappyなブログの前に、重ーいのを投稿しました。
(自分でも重すぎるのでリンク、貼りません・笑)

 
温かい、励ましのコメント、ありがとうございました!おねがい

あのあと、上司である理事長にも相談しました。
上司はこの状況をよくわかってくれていて、
 
「社員」であるなら「組織」の一員であるので、それを乱す行為は慎んでもらわないといけないね、自覚をもってもらいましょう。今度の会議の時に私から言うから。
 
ということになりました。
 
理事長がやんわりと言ったところで、自分のことだと気づいてくれるかはかなり疑問ですが、理事長に任せることにします。
 
 
さて、そのあとずっとストレスからか体調不良が続いていますが(←メンタル、弱っ)、私ももう一度よく考えてみました。
 
①日々の細かい行動については、もうどうにもならない(相手は変えられない)ので、イチイチ気にしないことにする。
 
割りきることは割りきる。
 
↑私は、昔、やはり言動がどうしても気になる(悪い意味で。許せない、というか。)同期入社の子がいて、毎日その人に感情を振り回されていたのを思い出しました。
その時に思い付いたのが、頭の中に「どうでもいい」という箱を作って、その人のことが気になったら、即、その「どうでもいい」箱に入れる、というもの。
 
別に私に関係ない、知らない。損をするのはあの子。私には何も害はない。どうでもいい!
ポイっ!
 
そうしたら、不思議と気にならなくなり、その人に振り回されることもなくなったんです。
 
これだ!
もう一度、これをしよう!
 
この人と一緒に暮らすのは絶対無理だけど(←ひどいよね、でも本音。この人が姑で、同居、とかだったら、すぐ病気になってる。そのくらい色々合わないし、心地よくない。)、職場だけの付き合いだし。
 
どうでもいい!
 
に入れることにしました。
 
「私の」学校、いいものにしなくちゃ、と思うから、思い通りにいってないとイライラするんであって、そこまで執着しなければ別になんともない。
 
職場は職場。
またいずれ離れるかもしれないんだし、私の仕事は、私がいなくなったとしてもうまく仕事が回るように、仕組みを作っておくこと。
それを他の社員にも伝えて、同じ目線でやってもらうこと。(←今ここが難しいのだが、これはさらに上の人の力を借りる!)
 
わりきる、わりきる。
 
 
②教育観(理念)、やり方の違いについては、今は静観する。
 
本当は、一番こだわりたいのは、ココ。
でも、はっとしたのは、「合わない」「聞いてもらえない」んじゃなくて、ただ、「全く違うものを持っている」んだということ。
大きく方向性の違う価値観を持っているわけだから、「合う」わけがない。
合わせよう、わかってもらおう、と思ったことが、間違いだったってこと。
 
だから、もう、合わせよう、聞いてもらおう、とすることをやめます。
 
 
「教育観」て、本当に大事なんだなあと、ここに来て、改めて思いました。
これまでもいくつかの教育機関に勤めてたけど、そこまで違和感を感じることはなかったな…
(もしくは、非常勤で短期間だったら、そこまでこだわってなかった?)
 
まあ、これまでの学校は、ごくごく一般的な進め方だったし、教材も、そこまで「えー?」と思うようなものではなかったので、特に何も思わなかったのかも。
(何を以って「一般的」というかは難しいですが。)
 
もう少しポジティブに言えば、やり方が私の理念とそれほどずれていなかった、ということかな。
 
私は、前にも動画でお話ししたように、「覚え込ませる」とか「詰め込む」とか「テストのテクニックを教える」とか、そういうのが、ものすごーく嫌い。
 
そういうふうなことをすれば、そりゃ、やらないよりは「知識量」は増えるかもしれないけど、わたしは、そもそも、ただ「知識量」が増えることが「教育」だとは思ってないから…
 
そうじゃなくて、もっと今後日本語を使いこなせるように、日本語全体の力をつけさせてあげるのが「日本語教育」の目指すところじゃないかなと思ってる。
総合的な力をつけさせるのに必要なのは、やっぱり「思考力」。
というか「日本語で自分で考える力」
 
これがなかったら、いくら文法や語彙を覚え込ませたって、意味がないと思う。
 
「知識」を持っていることと、それを運用することは別問題。
(養成講座で学ぶ言語習得のテキストの中に出てきそうだね、こういうこと)
 
だから、知識偏重は賛成できない。(自分で考えるならいいけど、「与え続ける」教育は、もうちょっと古いよね)
 
もっといろいろな角度から学生の能力を伸ばしていくことが重要だと思っている。
 
目先のテストに合格したいだけなら、どこか塾でも行ったらいい。
そういうテクニック、教えてくれるんじゃないかな。
 
…いつまででも熱く語れるからキリがないけど、こういうふうに考えてる。
 
それなのに、ここにきて、私のポリシーと全く違う考え方の人に会ってしまったのだから、
私も、オドロキだし、受け入れたくないし、嫌悪感すら覚える・・・滝汗
 
でも、ですよ。
冷静に、冷静に考えてみると、世の中、こういう人がいてもおかしくはないわけで、これに違和感を感じない教師だっているわけですよね。
 
私が、これまで、たまたま違和感を感じずに済む恵まれた職場にいただけ。
その中で、自分の考えを伸ばし、のびのびと仕事をしてこられたんだから感謝しないと。
 
もちろん、今までだって仕事や学校を「選んで」応募してきたわけだから、大きく考え方の異なる学校には初めからアプライしてこなかっただけのこと。
ものすごく違和感のある学校だったら、その時点で辞めてたしね。
 
今回は、たまたま、「考え方の違う」人が、私よりも先に入社していただけ。
うん。
しょうがない。
 
もし、向こうが上司で、こういう教育方針で進める人だってわかってたら、私はおそらくこの学校に入ってない。
そのやり方ではやりたくないから。
 
本当は、私が上の立場なんだから、「それはやめてください」と強く出ればいいんだろうけど、今は、それはしないと決めた。
 
あのO先生の強気な頑固な態度では、考えを変えることはしない。
何でも、自分の信じるやり方を押し通す人だから。
 
そういう人と争うのは時間と労力の無駄。
正直言って、私のエネルギー、そんなことに使いたくない。
 
その代わり、あまり関わらないことにする。(中途半端に首を突っ込むと、そのうち、どんどん仕事がこっちにきそうな気がするから。テスト作ってとか。そんなの、御免だし。ちゃんと話し合ったうえでやってるなら、仕事を「分担」するけど、人の言うことには全く耳を貸さないで勝手にやってるんだから、最後まで責任もってご自分でやってくださいね、と言いたい。)
 
 
今年は、コロナのせいで学生たちの勉強時間が著しく少ないから、あんまり悠長なことは言っていられないのも事実。
 
「今年はイレギュラーだから」ということを理由にして、今年だけは、O先生の思うように、自由に、お好きなよーーーにやってもらいましょう。
O先生にも、「私が最初から教えてきた子たち!」という自負があるようですし。
(私は途中の6月からだからね。週の教える回数も少なかったし)
 
本当は、私は主任なので、私の預かり知らぬところで勝手なことをやられちゃ、困るんだけどね。
何をどれだけやるかは、きちんと報告してもらうことにします。
(嫌がるだろうけど、フォームを作って、「仕事」としてやってもらいます)
 
でも、来年以降、学校も存続し、長期的にここで仕事を続けていくんだったら、私は方針を打ち出そうと思います。
どういう学校にしていきたいか、はとても重要なこと。
毎年毎年、行き当たりばったりではできないから。
学校としての特徴も出していかないといけないしね。
 
その時、O先生が何か異論を唱えるなら、最悪の場合、辞めていただきましょう。
ご自分でも、3年間専任をやって、「主任」になれる条件を満たせたら辞めたいと言っていましたしね。
その期限が、来年の6月。
 
ま、私が辞めて、O先生が主任になるか、私が続けてO先生が専任をやめるか、学校がつぶれるか・・・
 
のどれかになるでしょう(笑)
 
 
ということで長くなりましたが、結論。
今の状況は気に入らないけど、今労力を使って争うことに意味を感じないので、ある程度の距離をとって静観する。
然るべき時が来たら、学校として、組織としてのケジメをしっかりつけて、進退を決める。
 
 
担当するクラスが減る分、時間ができるから、「みん日」を使わないクラスのカリキュラムや教材づくりに時間をかけられるし、副業のライターの仕事もしやすくなる!
 
ラッキー✨🍀🌈  爆  笑
 
そう思うことにします!
 
さあ、あと今学期も1週間。(ぎりぎりまで授業するので)
 
残りのテスト、作っちゃおう~
 
あ、ちなみに、今作っている『1日15分の漢字(初級~初中級)』(上)(下)の漢字小テスト&まとめテスト、今後販売するかもしれません。
 
こんなの、欲しい人、いるかしらね?
 
では、また!