3歳の娘の言語発達過程。
忘れないうちに書いておきますニコニコ

もうだいぶ間違いのない日本語になってきましたが、それでもまだまだ独特の表現があります。

今日は、「A(自分)ちゃん、イスに乗ったらママの肩に手がとどけるよー

と言っていました爆笑

もちろん、「手がとどくよー

が正しいのですが、娘の間違い方の面白さに着目してしまう私は、ふむふむ、なかなか興味深いなぁ、と思ってしまいました。

どこがおもしろいかというと…

解釈その1

立つ  →  立てる
走る  →  走れる
書く  →  書ける

のように、「可能」の意味の動詞に変換している。

「とどく」は五段活用(日本語教育ではⅠグループ)の自動詞で、他には「立つ」や「走る」があります。
ところが、意味的な問題で、可能の動詞(可能形)を持たないんです。

とどく  →  *とどける

でも、まだ3歳にはそれがわからないので、同じように変換して可能の動詞を作って言っている、ということが考えられます。


解釈その2

あく  →  あける
 炊ける→  炊く
はいる →いれる

のように、自動詞―他動詞の関係にあるものを間違って使う。

~が届く(自動詞)  →  ~を届ける(他動詞)

なので、混同している可能性もあります。

うちの娘がどっちの意味で使ったのかはわかりませんが、文脈から考えると、恐らく1の可能だったんじゃないかと思いますが、真意はわかりません。
これは、もちろん、娘本人にもわかりません(笑)チュー

娘は、「お届けものでーす」などとごっこ遊びをしているので、「届ける」も知っているはずです。
だから、自他動詞の混同の可能性もありますが…
「手が届く」と使うときの「届く」と、「荷物が届く/荷物を届ける」と使うときの「届く」の意味が微妙に違いますよね。

なので、子どもの場合は、その二つが同じ単語だとは思っていないかもしれませんね。


留学生も自他動詞が苦手ですが、留学生の場合は、自国の言葉にないから概念の理解が難しい、という場合と、概念はわかるけど、どっちが自動詞でどっちが他動詞かがわからなくて混同する、というパターンがあります。

言ってみれば「頭で考えて」区別しているわけです。

ところが子どもの場合は、もともと自動詞とか他動詞とかそういう概念はありません。
文法や文法用語は全て後付けですから、そんな考え方を学ぶわけがない子どもたちは、日々聞いている言葉が言語活動の全てです。

なので概念などわからないので、よく聞く言葉、すなわち親が自分たちに話しかけるときに使っている言葉が「知っている語彙」の全て、ということになります。

そういう視点で考えてみると、子どもが使っている言葉(子どもが選んでくる語彙)も、納得できます。

親が子どもにかける言葉は、たとえば、

ご飯、食べる?
お茶、飲む?

に始まり、着る、はく、脱ぐ、見る、行く、(ベビーカーや自転車から)おりる、する/やる、など直接動作に繋がるような言葉が圧倒的に多いかと思います。

まだ、目に見えないことを想像するのは難しいので、当たり前と言えば当たり前です。

これらの動詞を、質問の形で使うか、あとは「て形」にして指示するときに使います。

食べて、飲んで、着て、はいて、脱いで、見て、おりて、やって、など。

あと、「できる?」「着(ら)れる」「はける」「やれる」「持てる」などの可能の動詞。

これらは、おそらく、まだ言葉を発しない年齢でもわかっています。(理解するほうが先で、発語は後からなので。)

これらの言葉が子どもたちの語彙体系になっているので、自分が発するときも、この中から意味の合うものを選ぶと考えられます。

そうすると、たとえば、服を脱ぎたいことを主張(お願い)するときには「脱いでー」、ベビーカーからおりたいときには「おりてー」となります爆笑

おもしろくないですか?!チュー

正しくは、「脱がして(脱がせて)」「おろして」ですよね。
これらは「ぬがす(ぬがせる)」、「おろす」という動詞ですが、こんな言葉、まず子どもにかけることはないですから。

子どもが自分でする「動作」のほうがわかりやすいので、そっちを無意識に選んでいるんでしょうね、大人は。

(まあ、「脱ぐ」は、「服を脱ぐ」なので文法的には他動詞ですが、立つ、歩くなどと同様に自分の動作なので、そのまま「て形」にしてしまうと、相手にその動作を指示する文になってしまいます)

これに関連して言うと、子どもたちは、何かの動詞に「て」をつけると「お願いする」形式になる、ということも知っているんですよね!

これってすごいと思いません?

まあ、↑↑↑のように、時には間違って使ってしまいますが。

でも、そういうルールがあるということを知っていて、実践しているってことが、スゴい!爆笑

これぞまさに「言語(獲得)能力」!びっくり

人の脳って、そういうことができるようにプログラミングされているんだなーと思うと、やっぱり神秘的。奥深い。

成人になってからだと、それが子どもみたいに無意識にはできないので、「頭で」考えて体系化するんですよね。

だから、成人に教えるときは、ちゃんと体系的に教えないといけない。
ルール作りがしやすいように示してあげないと。
その人が自分で「応用」できるように、つまり作ったルールをいろんなところに自分で適用していけるように。

それが、第二言語教育に携わる教師の仕事かなーと思っています。


話が少しそれましたが、ネイティブの子どもの色々な「誤用(間違い)」には、それなりの理由がある、ということです。

ちなみに、我が家の娘たちのユニークな言葉を記録しておきます。

「どけて」  (←どいて)
「できて」(←やって)
「(ご飯)、炊けて」(←炊いて)
「(ボトルの蓋など)開いて」(←開けて)

「(人形の服など)脱げて」(←脱がして)
(「服が脱げない」から来ていると思われる)

「(ベビーカー)おりて」(←おろして)
「見て」(← 見せて)

あと、違う理由から来ている誤用ですが、
「おいでー」(←来て)
(「おいで」は、立場的に上の人→下の人に使う言葉なので、子ども→大人は不自然)

これは、今でもよくありますニコニコ

でも不思議なのは、「て形」の形を間違えることはない、ということ。

これに関しては「正しい」形のインプットしか受けないから、間違いようがない、とする見解があります。
(子どもは、ルールで動詞の形を覚えているわけではないので。)


語ったらキリがないので、この辺でやめておきますねウインク

これからも、幼児の言語獲得、観察しようと思います♪