自分の頭の中はいつもぐるぐる回っていて
・理想の世界、ありたい姿、突き抜けたい思いやエネルギー
・自分の現状、実力、社会とのギャップ
この2つが常に入り混じっていて、自己矛盾や混乱が起こっている。
理想主義と現実主義を同時に生きている感覚。
自分の現状なんて見て見ぬふりをして、これまでの経歴と肩書きをうまく利用して事業を組み立て、
現状の社会に溶け込んで混ざりながら社会進出する方法はいくらでも存在するのに
自分が納得していない状態で「何者か」として生き、
自分が意図していない形で評価されることへの不信感と恐怖感で
行動に移すことができない。
これまで様々な壁にぶつかり、理解するために自分なりに言語化をしてきた結果、感じるのは、
人は多様な世界観を持って生きていて、一緒にいる人や環境によって常に違う自分が出てきたりしている。
そうやって、その時その時の状況や自分の感情を感じ取って認識することで精一杯なのに、
社会に対して誤解のないように自分を言語化し、
自分が意図したように理解してもらうのは到底無理だと感じている。
これまでの人生で毎日悩んで、たくさん考えて、
社会に「人間的・本質的な正解」は存在しないことを悟った。
自分の求めているものは、社会における一般常識からズレていることを感じた。
そんな社会に自分から入って、社会的な常識のフィルターを通して世の中に発信していくことは
本質的な考えからずれていき、自分が本当に伝えたいことは歪んで伝わってしまい、
必然的に自分を押し殺しながら、自分に嘘をつきながら生き続けないといけないことになると感じている。
そう感じるから、自分の頭の中にたくさんアイデアはあっても、
社会に出した時点で違う方向に歪んでいく気がして、提案することができない。
そんな状態で「自分はどこを目指しているのか」と聞かれても、
具体的な職業や目標を設定することはできない。
でも、自分の中には確実に「前に進みたい」「遠くへ行きたい」という気持ちは存在していて、
日々、葛藤しながら、悩みながらもその気持ちは絶やさずに持ち続けるんだと思う。
歪んだ社会の恩恵を受けるのではなく、本当に自分が意図したものを、ゼロから自分の手で創っていく。
「ここまでやったんだから、社会からどう思われても良い」と思えるものを、時間をかけて育てていきたいと感じる。
そのようなアイデアは全てどこから生まれるのか。どのようにして育っていくのか。
その原点となるのは全て、自分自身であり、「個人」であり、
組織や社会から与えられたり、介入されるものではないと思っている。
だからこそ、まずは社会と自分を完全に切り離し、自分に集中する。
その上で一人ひとりと向き合い、対話を通してその人を感覚的に感じ、自分の素直な感情に耳を傾ける。
自分のことを大切にして、目の前の人を大切にする。
自分がその人のために何かしたいと思ったら、歩み寄り、行動する。
何か違和感を感じたら、それを正直に伝える。
距離が必要だと思ったら、距離を取る。
そうやって自分のアイデアが自然と育っていくためのスペースを確保しながら、
周りからヒントとモチベーションを得て、少しずつ形を創っていく。
それがどのような形で、他人に認識され、社会から認知されるかは分からない。
こちらから設定し、強要することでもない。
自分がどこに向かっているか、何を目指しているのかは分からない。
ただ自分と向き合い、目の前の人と向き合い、対話を続ける。
今の自分は、それをしているだけなんだと思う。