ふと、思った。


そうか、、アスペ旦那も、

ここにしか、帰る場所がないから帰ってくるだけなんやな。

帰れる場所が、ここしかないんや。

だから、

車に、布団まで積んでるのに、帰ってくる。

他に行くところが無いんやな



私と一緒や


私にも、ガッツリと頼れる友達も居ないし、

実家にも帰れない。



アスペ旦那も、実家には帰れないだろうな。

アスペ旦那の実家は、団地。

よくある和室6畳4.5畳3畳と台所。

そこには母と妹が住んでて、帰れる自分の部屋が無い。

(なのに義母は、私に向かって、アンタが悪い。あの子=義母の息子であるアスペ旦那に、アンタが出て行けと言えばいいんや!と、言い放った。

義母は、息子を自分に返して欲しいのだ。なのに、息子には義母が直接帰って来いとは言わない。

そしてすべて、私のためのアドバイスだと言い切る。そんな義母は昔から苦手だ)



一方、

私も、違う理由で、帰れるところがない。

私の実家は、戸建て一軒家だが、

もともと片付けられない両親で、

家は、増築に増築を重ねた不思議な家。

めちゃ広いが、物であふれてて、結婚して家を出た後の私の部屋も妹と弟の部屋も、亡くなった母親の部屋も、モノが詰め込まれていて、足の踏み場もない。ひどい状態。

母親が生きてた頃から、離婚して実家に帰るなんて考えられなかった。どれだけ寂しい結婚生活でも、実家よりマシ。

毒親がいる不要な物であふれる実家は、落ち着かない家だった。気疲れするだけ。


今は、母親が先に亡くなって父親だけになったけど、今度は、実家が更にキッチン、リビングまで、ゴミ屋敷化してしまって悲惨な状態。

父親は頑固で、物への執着がひどくて、

捨てると不機嫌になるから、勝手に処分もできない。

父親は、物に囲まれて安心感を感じるタイプなのだろうと思う。

物への執着の仕方が異常である。そんな親。



そんな実家を持つ私たち夫婦。

だから、私も、アスペ旦那も、

今の、この家に居るしかないから、ここに居るだけ。笑


似たもの、、同士、、、なんかな、、、

やっぱり、、、夫婦やなショボーン

あーーーあ。

その現実に、ガッカリする。笑



この先、別居するなら、

新たに、どこかを借りて住むしか方法が無い。

うーーーーーん。


ほんと、、お金をためるしかないな。

とりあえず、別居費用やな。



そりゃ、ここに、ポンと、

1億円あったら、そりゃ、マンションも車も買って、家を出るよ。即、離婚する。

財産分与も旦那に配慮して適当にする。笑

毎日、趣味で、働くよ。笑


夢のような世界や。

現実には、そんなお金、見たこともない。笑


だから、仕方なく、

家庭内別居しながら共同生活という状態に落ち着いているだけ。



現実問題、、

せめて、住宅ローンが終わってたら、

状況は違ってたのかもな。

ローンは、あと5年残ってる、、



私が、私のために、将来の計画立てて、やるしかないんやろな。

こんなことは、初めて。

自分のための将来の計画を立てるなんて。

子供の頃の夢ですら、母親からの刷り込み。

母親の願いを叶えるための将来の計画があって、

私の前には母親の機嫌を取るためのレールが敷かれてた。笑

それが私の夢だと思い込まされてた。



自分の明るい将来のために、

計画を立てて準備するなんて、やったことがない。一度もやったことがないよ。笑


今、この状況で、

将来の明るい希望を、どこに感じればいいんやろ。とりあえず、仕事かなぁ。




友達の友達である職場のパートリーダーが居てくれて、50代で働けてるのは、ありがたい。

ふと寂しい日はまだある。

けど、仕事してて、嫌で嫌で仕方ない日は、無い。

前の職場は、ほんと、嫌なことだらけだった。

空を見上げて、ため息ついてから、職場へ入って行ってた。すっかり忘れてた。そうやった。

嫌やったなぁ。ずーーーと、嫌やった。


今、仕事行く時に、嫌やなぁ、辞めたいなぁ、なんて、思う事は、今は、ほんと、無い。


今は、朝の通勤時間なら、

私の大好きな景色広がる道を通って、

綺麗な景色見ながら行く。

真っ青な空に真っ白な雲見て感動したり、暗雲立ちこめるどんよりした曇り空の日でも、すごい雲やなぁって、空模様を堪能しながら、仕事に向かう私が居る。

以前より、ずっと、心が、穏やかなんやろな。

空を楽しむ余裕がある。

そう思えるほど穏やかな気持ちで過ごせてるっていう心の状態なんやろな。




経済的自立。

ほんま、この先、どうしたらええか、わからん。

目標を持ったことがない。

何年後に、〇〇する。って、やつよね。

目標って、必要なんだろな。



私の人生、

ただ、ただ、日々をやり過ごし、

ボーーーッと生きてきたからな、、

やる気なんて起きなかった。

何ひとつ楽しんで来なかった日々だった。

苦しかった。

だから、何も積み上げて来れなかったんやな。

しゃーないよな。

育った環境が悪すぎたんよネガティブ

それに気づいたから、、今からよ。今から。



ずーーーーーとね、神様!仏様!

誰かーーーー!

私を幸せにして!!って、思ってた。


いや、違うねんな。違うかった。笑

私は、自分で、自分を幸せにすることが出来るんや。って、そんなことさえ知らんかった。


いや、ちょっと、違うな。


自分で、自分を幸せにしていいって、思えてなかっただけなんかな。

自分で、自分を追い詰めてた。

我慢しなあかん。自分だけ得したらあかん。楽しむ時は一人だけで楽しんだらあかん。喜びはみんなで分けないとあかん。

「お姉ちゃんやから、ひとりじめしたらあかんで、みんなで平等に分けるんよ。自分だけ得したらあかんよ。なんでも平等にな。」

ほんとに、、

なにげない母親の言葉を、自分で、自分自身に刺し続けてた。呪いの言葉。

母親は、平気で自分だけコッソリ得したり、色々やってたのにね。それを知って何度ガッカリしたことか。

そんなことは、人なら当たり前なんやけど、

私にとっては、

母親が面と向かって私に話しかけてくれる事だけで嬉しくて、私を思って、私を見てくれてるという喜びを感じてしまうほど、母親と私とは、過ごす時間が少なかったから。

母親が私に話しかけてくれるだけで嬉しかった。

母親にはなんとなく緊張してたし、自分から甘えることは出来なかったから、、

だから、言いつけを守って褒めてもらいたかった。母親は、いいっぱなしだったから、褒めてくれなどしなかったけど、ずっと期待してたよね。

母親が喜んでくれるような子になる。という涙が出そうな決意をしてたな。笑


私は乳児の時から、母親と犬猿の仲のおばあちゃんに預けっぱなしに近かったようで、

寒くて冷たくて暗くて孤独なイメージとして残ってる幼少期の記憶。ポツンと暗い洞窟の中に居たようなイメージがある。おばあちゃんも相当な変わり者だった。笑。ほんと悲惨な思い出ばかり。


癒やせてない過去。

自分で自分を可哀想と思ってた。


その頃から、私の中に、

すっかり冷えて固まってる心がある。

結婚して溶けるはずやった。期待してた。無駄な期待やった。

更に、冷えて固まった心。

結婚して数十年かけて、また冷やして固めてしまった心。

やっと最近、

自分で、自分を大切にし始めて、やっと、常温に戻りつつある固まった心。

そろそろ、ほぐれてくる頃かなぁ。笑

あたたかくて柔らかい心になるのはまだかなぁ

今は、常温でまだ固まってる心。


自由に、ふわふわして、柔らかくなって、心ほぐれて、いつか飛び回れるようになるかなぁ



家庭内別居中の、我が家は、

今、その自由でふわふわ飛び回れる心になるために、拠点となるスタート地点だと思えば、いいかもなぁ

ただいま準備中。のプレートを掲げて、

ふわふわ飛び回れる心にするために、

準備の真っ最中!!



アスペ旦那とどうなる、とか、より、

まず、自分をどうにかしたい。


この家は、準備のための拠点だと思おう!

うん。それがいいわ。

なんか前向きな気持ちになれる。

準備のための拠点。めちゃ、いいやん!!笑