もう、ずっと、ずっと、もやもやしてて。


どうしようもなくて。


この先どうしよう。とか、思うのに、

何かを始める気力が出なくて、、

スマホ見て、なんとなく、日々を過ごしてた。


お盆あたりから、何があった、とかじゃなく、なんとなく、やる気が出ない日々でした。


ブログも、

書いては消し、修正して保存してを繰り返して、途中までの保存文書が増えまくってる。


(これも、何度となく書き直してたもの、、

ものすごく長文になってしまった)




ほんと、何にも、、したくなくて、、、

日々の家事をこなすだけの日が続いてる。



頭の中は、考えすぎてるのか、モヤモヤしっぱなし。


寂しい。とかではなくて、

なんか、先が見えなくて、どう動き出せばいいのか、

どう考えたらいいのかもわからなくて、、

もちろん、アスペ旦那の事が大きい課題ではあって、、

いったい、この先、どうしたいのか、どうなりたいのか、

未来予想図なんて、何も浮かばない。



何か、抜け出すヒントはないかと、

気づけば、

あちこちのブログを読みあさってた。



すっごく、久しぶりに、、

なんとなく、、おちゃらけ感が苦手で、チラッと読んで、遠のいていたんですが、


ナリ心理学に行き着いて、、


で、、、読んだり、、やめたり、しながら、


あれこれ書かれてる意味がふんわりとしか理解出来なくて、


大量にブログ読みすぎて、

わけわからんようになりそうになって。笑


よけいに、混沌としてしまったりしながら、、、



それで、やっと理解出来たのは、

やっぱり、この生きづらさの原因は、母親。


とても未熟な母親に育てられたこと。

私は被害者だった。


そうとは知らなかった私の心の中は、ずっと、

自己否定と、罪悪感しかなかった。


普通の母親に育てられていたら、もっと元気だったんだと思う。



ナリ心理学をリブログしようかと思ったのですが、読みすぎて、たくさんありすぎて、

どれがいいか、

決められなかったので、、笑




初心者の私が、理解出来たことは、


ダイヤモンドっていうのが、

そのままの自分で存在してていい。と思えてる人。

人はもともと、ダイヤモンド。

なのに、生きてるうちに、それを忘れてしまっているのが非ダイヤモンド。



もちろん、私は、、

このままの私じゃダメだと思って生きているので、非ダイヤモンド。

ダイヤモンド、非ダイヤモンドにはレベルがある。



そのままの私で、

存在してていいなんて一度たりとも思ったことがないまま、ここまで生きてきてしまった。

自分のどこかを修正しないといけないんだと思って生きてきた。




非ダイヤモンドになったのは、母親が未熟で、普通の母親じゃなかったから。


私が、非ダイヤモンドで、今まで生きてくる中で、身につけたゴミ価値観を、

まだ、たくさん握りしめている。


その時に思い込んだゴミ価値観を手放すしかない。

(そのままの自分ではダメだ、との思い込みに、くっついてる価値観)




非ダイヤモンドの両親、

なんなら、祖父母もたぶん非ダイヤモンド。


未熟な母親は、毒親になり、

さらに

私は毒親育ちで、毒親になってしまった。

負の連鎖。


弱い立場の子供達へ、不機嫌を撒き散らし、イライラしっぱなしの子育てをしてしまった。


アスペ旦那への不満をためて、我慢して、

そのイライラが、息子と娘へと、向かってしまった。


アスペ旦那に気を使い、

アスペ旦那の義母にも気を使い、

実家の母親にも気を使い、、、


ただ、ただ、しんどかった。



息子も娘も、

当然の結果、

このままじゃダメだと思って生きている。


非ダイヤモンドに育ててしまった。

きっと、寂しさも生きづらさを抱えている。



アスペ旦那は、いったい、どう分類されるのか、よくわからなかった。

酒乱の父親から逃げて、母子家庭で育ったアスペ旦那。

本人の自覚がない発達障害と思われる。

数年前に鬱の経験もあるが、自分に自信はある。俺は運がいいと思っている。

ただ、何も考えられない、感じない。

変わった人。

残念ながら、浅い。幼稚である。学ばない。


さらにブログを読むと、

非ダイヤモンド=子供と書かれてるのを見つけた。まさに幼い思考の旦那は非ダイヤモンドなのかな。そこは、まだまだナリ心理学を理解しきれてない。





私は、幼少期から、

まわりに気を使いまくり、疲弊していた。

それは、どうやら、

心のエンジンが、ぶっ壊れてる状態らしくて、


ちっとも頑張れなくて、、

それが、情けなくて、、

毎日しんどくて、、つらくて、、


普通の母親のもとで、育っていたら、もっと、

心身共に元気だったんだろうと思う。

頑張れなくて当然だったんだ。


自分がダイヤモンドであると思い出すのが先決。人はみな元々はダイヤモンドだったんだと、思い出すこと。




よくある普通の家庭の幸せな光景なんて、

(普通とはサザエさん、ちびまるこちゃん、しんちゃんのような家庭)

私自身に経験がないから、実感としてはわからない。想像はなんとなく、出来る。



我が家も、

アスペ旦那だから、家庭だんらんはなかった。


家庭内別居を始めてから、

母子3人では、楽しくやってた。

私がストレスを減らすにはこの家庭内別居しかなかった。


家庭内別居なんて、

子供たちにとっても、いい事では無い。わかっていたが、まだ、動けない。

動けない。と言う時点で、私が、まだ非ダイヤモンドということがわかる。笑。



私は、子供の頃から、

母親に甘えた記憶もない。だから、旦那への甘え方もわからなかった。

母親も旦那も気を使う相手だった。


子供心に、

安心する場所は、家にも、外にもなくて、、、

他を知らないけど、

家庭環境は、決して、いい環境ではなかった。

頼れる親戚も居なかった。

親戚もみんな結構、変だったから、親戚のもめ事もよくあった。


思い出しても、

いつの時代の自分にも、戻りたくはない。


もっと鈍感で、図太い性格なら良かったのかもしれない。と思う。

空気があまり読めない妹は、何も嫌だとは、感じてないようだ。だから元気だ。

一番、母親に可愛がられていて、相性も良かったし、誉めて育てられたからかもしれないな。笑






実家は、いつも、母親の機嫌次第だった。

母親が、ご機嫌か、不機嫌かで、ピリつきが変わる日々。母親が全ての家庭だった。


(弟の奥さんに、結婚してすぐの頃に言われた。

どうして、そこまでお母さんに気を使わないとダメなの?と、、、私に問われたが、

仕方ない。としか言えなかった、、

心の中では、

そうだよな。これはおかしいのだろうな。と、思いながらも、

それが実家の当たり前なのだから、どうしようもない。と思っていた。)



母親の言うことは絶対で、

母親の機嫌を取ることは最も大事なことで、、


心から安心したこともなく、


世の中には可愛がられる子と、可愛がられない子がいる。親でも、好き嫌いがあって、えこひいきはする。と、悟っていた私。

私は嫌われていると思っていた。

同居してる祖母と母親の態度から、そう、感じ取っていた。2人とも弟を溺愛していた。

祖母と母親は折り合いが悪く、日頃から父親は板挟み。変わった人の集まりで、

不機嫌が渦巻く家庭だった気がする。



ずっと、どうすれば私を見てくれるの?の気持ちだったと思う。物心ついた時から寂しかった。

弟妹が、うらやましい。嫉妬。やきもち。

もう、ドロドロの気持ちの世界に居た。

ずっとずっとそうだった。そのうち諦めた。

母親にとっては、私は、ただ、おねえちゃんという役割の便利な子。

母親の機嫌がよくなるなら、それに、なりきるしかない。


父親も、常に、母親の機嫌を、取り続けていた。

母親は、家では、わがままなお嬢様。

父親はまんざら嫌そうではなく、

わがままは仕方ない、可愛いところもある、と、思っているようだった。

けど、

母親は、常に父親に対して、

こんな家に来てやった、結婚してやったのに。

という、スタンスだった。

それなのに、母親は父親に頼りきっていた。感謝しているようにも見えなかった。

夫婦仲は良い時、悪い時、と、波があった。



母親が先に亡くなったので、父親はとても寂しがってた。

私は、あぁこれでもう、面倒をみなくていいと、

安堵した気がする。怖い話である。


お葬式で、母親が亡くなっても泣かなかった私。

娘の目には、とても不思議に見えたらしい。

私なら号泣するのに。って言ってたな。笑



私が大人になってわかったが、

母親は、外では、全くダメな人。だった。

一人で電車も乗れない。

初めての場所へ一人で行けない人だった。

一人では何も出来ない人だった。

だから、すぐ、誰かに頼る。

誰かに頼れるのは、すごいな。と思えたし、興味のある事に対する行動力はあった気がする。

ありのまま生きてたのかな。



母親は、わがままだった。

自治会の女性部には入りたくない。その役員もやりたくないと、駄々をこね、活動には一切関与しないことを承諾させ、会費を払うことで解決していた。

ごり押しである。

その話を普通に話す母親が、とても恥ずかしかった。


母親がパートに出る時も、

隣の奥さんと一緒に働き始めた。ひとりでは怖いから。

一旦、そこの職場に慣れると、主(ぬし)になるタイプ。社長の奥さんと勘違いされるほどの振る舞いだったようだ。

同じ職場には居てほしくないタイプだ。


母親は、自分の8人きょうだいの世界で生きていた。末っ子で可愛がられていた。


自分のことは頭が悪いと言っていたから、自信はなかったはず。

自分が苦手だからと、

私に習字とそろばんを習わせ、憧れのピアノも習わせて、嫌でも、辞めさせてはくれなかったが、

母親にとっては、それが教育で、愛情だと思っていたようだ。


あなたは、ダメな子なんだから、私の言うことを聞いていればいい。のスタンスだった気がする。

なのに、

長女だからと、あてにされ、頼られていた気がする。

老後のために実家近くに住んで欲しいという母親の願いを叶えるために、ここに家を建てた。

(それで、義母ともめた過去がある。

私も相当やらかしているな。笑)





そんな環境で育った私が、


存在するだけで、価値があるダイヤモンド。

などと、

自分のことを思うなんてことは一度としてなく、こんな歳になってしまった。


理想の未来なんて、思い描くこともなく、

今を無事に生きることがすべてだった。


未来なんて想像したところで、叶わない。と思っていたし、

やりたいなと思うのはツラいだけ、

出来るわけがない。と思っていた。


憧れが浮かんでも、憧れのまま。

私には無理なこと。

やる前から諦める。それが普通。

私に出来るわけがない。これが当たり前だった。

何を目指したいのか、

目指す?そんなこと考えたことすらなかった。



笑える。

そりゃ、人生、しんどいはずだよ。笑

日々をこなすだけの人生だもの。



まだ、まだ、ダイヤモンドへなんて、辿り着けていない。

結婚して、気を使う相手が、アスペ旦那にすり替わっただけ。



私は私のままでいい。。。。なんて、、

その事をすっかり忘れて生きてきた。


これを、思い出すしかないのだ。


私のままで、、、そのままで、いい。と。



私はダメな子じゃない。笑


こんなダメ母親に育てられても、

ちゃんと、ここまで生きてきたよ。




やりたい、やめたい、欲しい、いやだ、いらない。を言っていい。


嬉しい、楽しい、悲しい、ツラい、寂しいを感じて、その感情を表に出していい。



何も言わずに、顔色を伺うなんてしなくていい。

ぶつかってもいい。

嫌なら、距離を取る。


そして、立て直す。



生きているうちに、身につけてしまったゴミ価値観。

これから、これをひとつずつ捨てていく。


バツレッド誰かの役に立つ人でないと愛されない。


バツレッド私にはお金をかけてもらえるだけの価値がない。

バツレッド欲しいなんて、言ってはいけない。



我慢してたなーーー笑


色々、小さな頃の事を、思い出してたら、



クソだな。クソババアだな。ひでーな。笑


と、、突然、口に、出てきた。笑

びっくりした。笑


クソババア、なんて、生まれて初めて言ったな。

ほんとは、

面と向かって、言いたかったんだろうな。私。笑


親に向かって反抗期は無かった。

言えないまま大人になった。

そして、もう母親は亡くなってしまった。



そんな我慢し続けていた私が、、

子供を育ててしまった。

旦那へのイライラを弱い子供にぶつけてしまった。旦那がまさか、心が成長しない発達障害だなんて知らないもの。


しんどかった。


今思えば、小学生の思考回路のままの旦那と共に、子育てしているのだ。


しんどかった。辛かった。


今でも、乳児の泣き声はトラウマだ。

耳を塞ぎたくなる。


お願いだから、、

いい子にしていて、お母さんが大変になるでしょ。もうこれ以上、、、無理だよ。誰か助けて。

そう思いながら、育てていた。


私は、壊れていた。


心の中では、

息子や娘にヤキモチを焼いていたんだね。


私は、小さな頃から、

あんなに我慢していたのに、

どうして、あなたは、そんなわがまま言うの?

お母さんの言う事を聞くのが当たり前でしょ。

わがまま言わないで。

私だって我慢してるのに。。。



そう言う気持ちだった。





大きくなってから、何度か、息子に謝ったが、

小さかったから、覚えていない。と、言われた。

そんなことはないと思う。


必死で、心の底に、辛さを沈めたんだろーな。と思う。

ごめんね。

今、ひとり、東京で暮らせて、ほんと良かったと思ってる。私から、離れられてほんと良かったと思う。




娘は小学4年で不登校になって、

必死に、シグナルを出してくれた。もうこれ以上無理です。と、

それで、、、

色々と、向き合うしかなくなって。


もう、10年経つんだね。


あの頃から、色々、本を読みあさって、

どうしたらいいか、探し回った。

結局は、私の育ち方が原因だったんだ。とは、まだまだ気づけなかったが、


私自身を見つめ直すきっかけになり、

母親との関係、自分の生い立ち、

アスペ旦那との事を考え直すきっかけになり、


少しずつ、少しずつ、

私が自分を取り戻して、

我慢を手放し、無理をやめ、素直に欲望を満たして、

少しずつは、変わったけど、



まだ、最大の難関、、

アスペ旦那と離れて暮らす勇気が出ない。

今、無職だもんなーー笑。



それは、心のエンジンがまだ、壊れたままだから。だと思う。そう思いたい。




【世界に敵はいない。自分は最高に素敵な存在だ】


これを思い出す。

ゴミ価値観を捨てて、

生きてるだけで素晴らしい存在な私を思い出す。


何もできない。それでもいいらしい。笑


ありのままの自分でいい。


出来なくてもいい。

失敗してもいい。

恥ずかしくてもいい。

誰かに頼んでもいい。助けてもらっていい。



人に、なんて言われるかなんて気にしない。


ふふ。

それは、ちょっとだけ出来る。

好きなものは好き。嫌なものは嫌。

この歳で、やっと、一番好きなものを選べるようになった。

やりたいことは、恥ずかしくてもやりたい。と思うようになった。




最近のもやもやした気持ちは、

ブログ読んで、読んで、読んで、笑。

少しだけ、光が見えてきて、

いずれは、くっきりと晴れそうな気がする。

まだまだ、時間はかかるかもしれない。

が、

もっと心のエンジンが正常に働いた時の自分を見てみたいと思っている。




私は、私のままでいいのよね、、、


まず、今、握りしめてるゴミ価値観を捨てる。


とりあえず、やってみようと思います。