ふと、、、


思い返していた。

やっぱり、関係があるのかなぁ



先月、私は、約2年間働いたパートを辞めた。


娘が、高校2年の冬から

大学1年目終わる頃までの期間、パートしていたことになる。

(その間に、娘は、大学1年生の6月から、大学へ行けなくなった。)



過去、、


前の製造パートで、働いていたのは、

娘が、小学6年生の秋から中学3年生の夏までの、約3年間だった。

(中学1年生入学直後から教室へは1週間しか通えず、色々あったが、通算約2年9ヶ月は不登校だった。)


その前は、

事務パートで、

娘が小学3年生の冬から、小学5年生の初夏までの約1年半、働いていた。

(その間、小学校4年生入学直後から1年半は、不登校)




もしかして、、、

今回も、、私のジンクスに、あてはまってたのかな。


私のジンクス。。。


私が、パートで働き始めてから、数ヶ月〜半年すると、

娘は、、学校へ、行けなくなるのである。


ただの偶然なのか、、、


パートで働いていた期間は、小学校中学校で、不登校になった期間と、ほぼ、一致する。。笑



そして、毎回、、何かのきっかけで、

パートをやめることになり、、

私は、しばらく無職になり、娘と過ごす。



無職の間、、


家で、娘と2人、

のんびり過ごしながら、

あちこちへ、出かけたり、、

学校へ行きたいのに、なんで行けないのかわからないえーんと悩む娘、

そんなジレンマを抱える娘とともに、

未来のために、

試行錯誤の日々を、始める。



小学4年生では、パートから帰ってきて、

放課後に、個別で対応してくれる先生方の元へ、連れて行ったり、、

長い期間をかけ、、

少しずつ、前向きな気持ちになってきていた娘。

だが、

やはり、寂しかったようです。

昼間は、ひとりぽっち、部屋にいると、

学校からの放送も聞こえる、、、そんな一人の長い時間。


そして、私がパートを辞めた。


私の時間に余裕ができた頃から、一緒に過ごすうちに、、表情も少し明るさを取り戻し、、

やがて先生の働きかけで、、

運動会の練習を見学してみる?、こんなことあるから〇時間目においでよ。来てみる?音楽会の練習見てみる?一緒に参加する?と言われて、

娘が、興味を示せば、

小学校へ付き添ってた。

副教科だけ参加するようになって付き添ったり、

段々と、娘のペースに合わせて、

慣らし保育ならぬ、慣らし5年生をしていた。


私が付き添い送迎しながら、、

教室へ短時間登校をし始めて、

小学6年生は、朝から登校班で、ほぼほぼ普通に、通っていた。


、、ので、

安心して、そろそろ大丈夫かなと、

パートを始めたら、、


中学校はガッツリ行けなくなり、、笑



娘が、中学校3年生の夏、

たまたま、私がケガをして製造パートで働けなくなり、

パートをやめることになった、、笑


そのおかげで、

私立高校への体験会や、個別相談、、


私立専願受験のために、

中学校で進路の先生や、学年の先生方と、密に連絡を取り、


放課後に、

合格最低ラインの点数が取れるように、

英語と数学の基礎だけ、何とか教えてもらえることになり、

秋深い夕方、真っ暗になった放課後の中学校へ、

週に一度、付き添った。


家でも、のんびり、付き合える時間があり、


卒業式へ向けた連絡とか、時間に余裕があることで、先生の都合に合わせやすく、

穏やかに進められたと思う。



たまたま、なのか、どうか、よく、

わからないが、、

なぜか、パートへ行くと

娘が、、学校へ行けなくなるパターン。笑


後で考えると、いつも、そうだった。


すべて、仕事をやめたおかげで、私に、、

時間にも、心にも、余裕が出来る。


娘への当たりも、やわらかくなっているのだと思う。


私は、常に、ワンオペ育児だったから、

息子と娘の2人分の学校との連絡、対応、娘へのフォロー、役員もなぜかほぼ毎年当たりながら、こなしていた。

そこに、パートが加わり、、余裕がなくなってくる。


相変わらず、

アスペ旦那は、娘を無視していたし、相談すら出来ない日々。


どうしても、パートへ行くと、私が、疲弊していく。

そんなピリピリを察知して、娘が行けなくなるのかどうか、

よくわからないが、

慣れないパートと、旦那とのギスギス感。


たまたまだったのか、、なぜか、

娘の不登校期間と、ピッタリ合致する。


パートに出勤する前に、

朝の娘とのやり取り、そして、学校への連絡、

先生との打ち合わせ、、


日々、私一人で、何とかしないといけない孤独感、そして、

不登校がいつまで続くのかわからない不安に、

焦り、押し潰されそうになり、

私には、まったく、

余裕がなくなっていく。。


アスペ旦那が、娘を無視しているその態度に、イライラもある。


それが、娘に伝わるのかな。


笑えるくらいに、

パートへ行き始めると学校へ行かなくなり、、

パートをやめて落ち着いてくると、

娘は少しずつ、動き出す。


ほんとに、ずっと、その繰り返しなのだ。笑


笑えるくらい。



今回のパートは、働き始めて1年後に、

娘が大学に行けなくなり、休学し始めた。

だから、

今までのジンクスと、共通だとは、

認識してなかったし、

娘も18歳なのだ。

この先、、

娘が、動き出すのかどうかなんて、わからないけれど。。



大学を決める時は、

パートで疲れていて、

娘の進路決定は、おざなりに、なっていた気がする。


娘は、とても安易に、

学校推薦で入れる大学をと考えて

大学生になれば何とかなると思っていたところがある。

私も娘の意思に任せるという建前で、一緒に考えることを放棄していた気がする。


ジンクス通り、

娘が、この先、、動き出す保証は無いが、


けれど、、、、

何かしら、、

パートを辞めることで、私の出す空気感が違うのは、間違いない。


イライラもしないし、モヤモヤも少ない。


娘に、そんな穏やかな環境で、パワーを充電して欲しい。

ただでさえ、父親の愛が、目に見えない。

家にいるのに、関わろうとしない父親の態度は、心理的なデメリットは多いと思う。

愛されていない。と感じてもおかしくない。



心の余裕を一番に考えてると、私にも娘にとっても、


しばらく、、、無職で、、、

居た方がいいのかもなーー


と、思い始めている。


一応、ありがたいことに、

アスペ旦那の扶養内だし。笑



精神的に頼れないアスペ旦那と結婚するということは、そういうことなのだ。

金銭的だけでも支えてもらおう。それくらいいいだろう。



アスペ旦那に言われたように、

娘を甘やかしているといえば、甘やかしているのだと思うのだが、、、


娘なりに、、


娘の思うようにしか、、動かない。

仕方ないのだ。



ここのところ、、

娘が、バイトしようと模索しているのが、わかる。頑張れ。と心の中で応援する。



私の、、未来

経済的自立のためには、、

フルタイムを探して、、

50代前半の間に、と、思っていたが、、

職種を選り好みしなければ、

何かしら、フルタイムならあるはずだ。

そう思いたい。



娘が、、何かしら、動き始められるなら、、

それが一番いい。


今は、まず、社会とのつながり、

初めてのチャレンジ、

娘が、バイトへ行く勇気が、出ることを、願っている。



この半年の休学期間で、

とりあえず、動きたくなる世界が、見えるように、なれば、、嬉しいな。



家庭内別居中、

私が、家に居ても居なくても、いいのだから、

どこへだって行ける。


せっかくの私の無職の自由時間、、

娘の休学期間、、

アスペ旦那に拒否られてる、、そんな家に、

居るより、

娘と2人、

日本各地に行ってみたいんだよな。笑


いいと思うんだよなーーーー


想像するだけでわくわくする。


ちょうど休学期間の半年。

あちこちへ、出かけたい。


まず、

富士山が近くに見えるとこ、行きたいんだなー

新幹線からしか、見たことない。


昔むかし、一度、

職場仲間で、山中湖に旅行に行ったのに、

連日の雨で、、ずっと、真っ白の霧?で、

富士山なんて、どこにあるんだか、何も見えずに帰った。笑

そんなことある?って感じでした。笑



やり残してる夢は、たくさんあるんだー

今がチャンス。だよねーーー


娘が一緒に居るうちに、行こうウインク

まだ伝えてないが、そう考えている。

よし、行くぞーーーグー

ニヤリウインク




ちなみに、今日はね。

娘に誘われて映画に一緒に行く。

お互いに依存してるのか、わからない。

でも、一緒に過ごせる時間を前向きに楽しみたいと思っている。

どうせ過ごすなら楽しみながら、、だよねウインク



楽しんだもの勝ちだよねチョキ