旦那への違和感が、
アスペルガーによるものだと、
気づかなかった25年間の結婚生活。
その間に、私は、6回入院生活を経験してる。
(うち2回は出産ですけど。笑)
ありがたい事に、
入院したり、手術すれば、解決出来るものばかりだった。
結婚するまで、入院したことは、一度も無かった。
切迫早産で、1ヶ月半。
息子の、帝王切開で、2週間。
けい留流産の処置で、3日間。
娘の、帝王切開で、12日間。
しばらくあいて、
3年前、肩腱板断裂手術で、20日間。
昨年、右目硝子体手術で、6日間。
入院すると、
家に早く帰りたいと、いう方々が多い中、
入院生活は、不自由で、退屈で、
決して、楽しいはずが無いのに、
自分でも、不思議だったのだが、
そこまで、イヤではなかった。
寂しい。とか、家が恋しいとも、思わなかった。
たくさん制限があるが、
一度入院してしまえば、
入院生活は、不自由だけど、とても、気楽で、穏やかな日々だった。
3年前、肩の手術の際は、
娘が、中学の不登校真っ只中で、
高校への進学のため、
放課後、中学に勉強を教えてもらいに行ったり、
希望する高校から、
オープンハイスクールへ3回来てくださいと言う、高校との約束があった、その時期でもあったので、
ずいぶんわがまま行って早く退院させてもらったが、
学校の事情と、
娘がほんと寂しそうで、退院を心待ちにしてる事実さえなければ、
ほんとは、しっかり治るまで、そのまま入院をしていたかった。
うーーーーん。
みんな、なんで、そんなに、入院生活イヤなんだろうか??
不思議だった。。笑
あ、そうか
そうです。
自分の家が、快適だからです。。
そうです。
私は、旦那のもとが、苦痛だったんですね。
何十年もその苦痛のまま居たから、その感覚に慣れすぎて、
自分では、日々、自分を無くし、耐えてることすら、気づかなかったんです。
旦那が近くに居ない入院生活は、
制限が多くて、生活は不便だけど、心が、何より、自由だったんです。
まだ、
旦那がアスペルガーだと、気づかず、
苦悩していた時期の私にとって、
無自覚ですが、
心の避難シェルターみたいな場所だったんだと思います。
令和元年5月に、旦那がアスペルガーだと気づいた直後に、
眼の手術で、入院することになり、
入院、退院の送迎は、旦那に頼みましたが、
初めて、
入院中は、もう病院に来なくていいと、
旦那の訪問を、拒否しました。
手術後しばらくは、
常に、うつぶせ寝で過ごす事。という制限があったので、来ても話せないから。と伝え、
来なくていい。と。。伝えました。
(旦那の中で、入院中は、出来るだけ、毎日顔を出すのが役目だと言う認識。病院に来ても何も話さないのにね)
その入院中に、気づいたんです。
私にとって、入院生活は、ご褒美に近いものだった事に。。
やっと、やっと、気づきました。。
旦那がアスペルガーかも、と気づいた直後だったし、
旦那の出張がほぼ無くなって、
ずいぶん息の詰まる日々が続いていた、
そんな時期でした。。笑
そう気づくと、
入院生活のありがたさが違いました。
好きな音楽を一日中イヤホンで聴きながら、
今までの事を、思い出したり、
自分のこれからを考えていました。。
旦那も、子供達も、色々と不自由だったでしょうが、1週間ほどなので、なんとか、過ごしてくれていました。
家の事を心配し過ぎたり、申し訳ないと思い過ぎたりするのも、やめました。
お互い様です。
お互いに、迷惑かけてしまうこともあります。仕方ないことだと、割り切りました。
あーーー。今まで、ずっと、
こうやって、入院することで、
わたし、知らないうちに、
守られてたんだ。。。
心が壊れないように、守られてたんだ。。
そう、気づきました。。
なんかね。。。不思議に、
そう思えてしまったんです。。。
………
マイナスにとらえてしまう出来事も、
長い目で見れば、違う見え方をするんだろうな。
その出来事は、未来のための、
きっかけに、なっている。
そうなんだろうなぁ。。。きっと。
今の、コロナの、この状態も
旦那の休職も、
息子が去年大学留年した事も、
娘が不登校で今の高校へ進学した事も、
私が今のパート先へ行き始めた事も、
きっと、
何かのきっかけになってて、
どこかへ、
繋がってるんだろうなぁ。
ちょっと、楽しみになってきました。。
人生って、不思議ですね