4年生から始まった不登校。
先生が怖い…に続いてえーん学校が怖いと言い出した。

学校から、身体測定と様々な健診に来るように言われても、在校生が居る間は、付き添って行った職員室や保健室でさえ、震えてしまうくらいの怖がりようだった。生徒が来ない無人の校長室に避難させてもらってもダメ。。ショボーン

え?びっくり
つい先月まで(3年生まで)通ってたのに??
そうなのか。娘にとっては、恐怖の館…になってしまったのか?
まさか、そんな状態だとは。。
これから、どうしよう。。

たまたま、以前の学年の先生方が全て異動して居なかった不運もあったが。。

そして、その年の教頭先生から、悪気は無いのだろうけど、不登校の県の施設へ相談して。と、パンフレットを渡されたので、学校に相談も出来ず、途方に暮れました。まだ4月でした。
自分で市の教育委員会の相談室などへも連絡して情報収集を始めました。

あちこち通えそうな所は調べましたが、娘は残念ながら、市の不登校児向けの教室にも、フリースクールにも、県の不登校通所施設にも、行かないの一点張りだったので、学校の先生にお願いするしかありませんでした。

とにかく、外との接点を持たせたかった。

そして、とにかく先生は忙しい。
1ヶ月2ヶ月経つと、連絡も段々と減り、このまま忘れられていくのかという不安が募りました。
先生も様々な事はしてくれましたが、殻に閉じこもった娘には何も届きませんでした。

夏休みとか冬休みは近所の子達が遊びに来てくれたりしていたので、とてもありがたかったです。
近所の子供達なりに心配してくれていたのだと思います。
「学校おいでよ。面白いで。」
私は嬉しかったが、今思えば、娘は何て思ってたのだろうか。。

夏休み最終週に、先生達が家まで来てくれましたが、娘は隠れて出てきませんでした。
落ち込んだ心は、まだ回復してはいなかったのでしょう。
今ならわかるんだけどね。

気持ちが前向きになると、顔つきが変わっていくんですよね。会話が増え、なにかしら興味を持つものが出来、やがて笑顔が増える。。
その時は必死過ぎて、私の余裕がなかった。
ゆったりと待てませんでした。。

とにかく、引きこもり…だけは脱出させたかった。誰か、私以外の人とのつながりが欲しかったんです。

放課後プリントを取りに車で連れて行ったりしてるうちに、同学年の他クラス担任の若い明るい女の先生が対応してくれて、4年生3学期から、放課後図書室に、算数のみ、月に3回ほど教えてもらいに行けるようになりました。
放課後の1時間未満とはいえ、学校の室内に入れる事はすごい進歩でした。
学年の先生方みんなで、支えてもらいました。忙しい中、本当に感謝してます。

ちょっと進んでるかなと思うと、ドボンと沈むように後退する。
まだまだ、娘を無理させて頑張らせてしまっていたのだろう。
新学年になる時には…登校させたい。という私の期待をひしひしと感じていたに違いない。。

期待してはガッカリを、繰り返す日々に、寂しさと焦りをまだまだ感じ続けていました。

いつまでこの状態が続くのだろう。

学校へ行く事がすべてじゃないといっても、このまま、引きこもりになってしまったらどうしよう。

不安しかありませんでした。