今日はANZAC Dayでお休み。

そもそもこの日は、戦争で命を失ったオーストラリア人とニュージランド人への敬意を示すためのもので、お店は午前中は閉まり、シティではパレードが行われるのが通例。

 

でも、私にとっては今日は別の意味を持った日。

2015年の4月25日の朝、旦那は脳梗塞を起こした。

4月14日に心臓発作で救急入院し、9日日間の入院後、家に戻り、その2日後の4月25日。

ちょうど日本からホリデーできていた母も含め、4人で朝食を食べている時だった。

 

退院後、食欲のなかった旦那がその日はいつもの食欲に戻り、母と「ちょっと良くなってきてるね」と話した矢先の出来事で。

息子が食べていたチーズを旦那も食べたいと言うので、渡して二人でチーズを食べている時に、突然旦那のチーズがテーブルに落ちて、それを一生懸命探す旦那。

彼は人の笑顔を見るのが好きで良く冗談をしたり言ったりしてたから、まただ、と思ってみんなで笑っていたけど、探していたその手の動きは止まり。

なんだか様子がおかしい。

 

そのうち名前を呼んでも返事も、聞こえている様子もない。

椅子に座っていた身体は徐々にテーブルの方に倒れ込んだ。

 

息子にその様子を見せたくなかったので、ソファーに座らせiPadを見せる。

 

その間に、救急車を呼んだ。

母は旦那が倒れて床で頭をぶつけないように身体を支えてくれていた。

初めて呼ぶ救急車で、かなり焦ったのを覚えている。

オーストラリアって911で、警察、消防、救急の全てにつながり、まずオペレーターにどれが必要なのかを言わなければならない、けどそんなの知らなかったから、必死で状況を説明し出したら「どのサービスが必要なの?」って。

 

すぐに救急にすないでくれて、私の名前、住所、状況を説明した。

救急車が車でどのくらいかかったんだろうか?

その間、電話はずっと繋いだ状態で、私のパニック状態を和らげようとしてくれていた、ような気がする。

 

その時住んでいたお家がちょっとややこしい感じで、セキュリティのゲートを開けて細い階段を登り、お家の玄関に来てもらう予定が、担架でその階段は無理で。

しかも駐車場からゲートまでは石畳で、これも担架は無理。

1台目の救急の人が女性二人だったと言うのもあって、応援を頼み、合計2台の救急車と4名の救急隊員が集合。

 

いろんなことが起こりすぎて私はいっぱいいっぱい。

その時3歳だった息子は、母と静かに待ってくれていたのが救いだった。

 

すぐに旦那を乗せた救急車は病院へ向かった。

私は救急車の助手席に座り、救急隊員の人はいろいろ話しかけてくれた。

ANZAC Dayでシティ周辺の道が閉鎖されていて、病院になかなかつけなかった。

 

病院についてから、たくさんのドクター、ナースと話した。

ほとんど覚えてないけど、家に残した母と息子も心配だった。

 

結局4時くらいまで病院にいたけど、その日は帰宅した。

母がいてくれて良かった。

 

あれから9年がたった。

旦那には失語症という後遺症が残ったが、幸い身体に障害は残らなかった。

この日は始まりの日で、本当に大変なのは次の日からだった。

 

毎年、ANZAC Dayになると思い出す。

この日から違う強さを得た気がする。

英語の力も格段に伸びたし、精神的なタフさも、母親としての強さも、介護する人への尊敬も、不自由さを持っている人たちの理解も。