みなさん、こんにちは!

今日の「きっかわみきの物語」部分公開は

「金色(きん)の耳」の太陽の章からです。

「私って何なのだろう?」と

考え続けている<花>が、太陽に問いかける場面です。

さて、太陽とはどのような会話がなされるのでしょう。

それでは・・・・



 翌朝のことでした。

 昨夜、三日月の銀の光に照らし出されていた沼の水鏡は、今朝は明るい太陽の光に照らされてきらきらと輝いておりました。

 <花>は日の光を受けると、一段とエネルギーに満ちてくるのを感じました。

すると、くるくると巻いていた長く細いつぼみが、その日の光の中で身体を緩めるように、心持ちふっくらとふくらみを帯びたのです。


「何てぽかぽかしていて、それに穏やかで・・・、それに何てまぶしいのかしら。

こんなに温かくて気持ちのいいものに出会えるなんて」


 <花>はふと、こんなに高い所からまぶしい光を送ってくる太陽ならば、私が今一番知りたいこと、「私が何なのか」を知っているかも知れない、という気がしてきました。

 そこで<花>は太陽にたずねたのでした。


「ねえ太陽さん、おたずねしたいことがあるのだけれど。

そんな高い所にいらして、こんなにまぶしい光を送ってくるあなたなら、きっとお分かりになるのではないかしら。

あの・・・、太陽さんは私のことを、何だと思われるかしら」


 太陽はさすがに太陽らしい、力強くも温かい声で答えました。


「あなたは、花。今は、つぼみですけれど・・・。

でも、私はあなたのことをただのつぼみだとか、ただの花だとは思いませんわ。

なぜなら、あなたには、あなたを支えている『何か』がついてくれているのですもの。

そしてその『何か』とあなたはいつも共にいるのですもの。

それに第一、その『何か、何ものか』が無ければ、あなたは花として生きられないのですもの。あなたは、あなたにはたらいている『何ものか』と実は一体になって生きているのですもの。

その『何ものか』は例えようもなく不思議で偉大で貴(とうと)いものですわ。

ですからあなたは花であり、同時に『貴(とうと)く偉大で不思議な何ものか』ですわ」


 みなさん、本日のお話はここまでですが、

さて、この太陽の言葉、どのようにお聞きになったでしょうか?

『何か、何ものか』というのは、目には見えないけれど、私たち生き物にすべてくまなくはたらいてくれているものです。

 少し抽象的かも知れませんが、遺伝子の研究で世界的に著名な村上和雄先生はこのことをさして、

「サムシンググレート」と表現しておられますね。

古く禅語では「いんも」(←ものすごく難しい漢字なので、ひらがなで書きました)とも表現しています。

言葉は違えど、表現していることは同じ。

私たちは目には見えないけれど、何か・何ものとしか言いようのないものに包まれ、守られ、それと表裏一体となって生かしてもらっている、ということなのですね。


 ところで<花>ですが、この太陽の言葉で納得したか?

それはそれとして受け止めるのですが、しかしまだまだ<花>の「私って何?」の問いかけは続いていくのですよ。

星、山、稲穂、三日月、ウマノオトシゴ・・・・、問いかけられたたくさんの生き物たち、さてはてそれぞれどのように答えていくのでしょうか?面白い意外な答えもたくさんありますよ。


 みなさまは、もし<花>に「私って、何?」と問いかけられれば、どのようにお答えになられるでしょうか? 答えが出るようで出ない、また無限の答えがある質問のようですね。この物語「金色(きん)の耳」は、とことん「自分って何なのだろう。いのちって何なのだろう?」を考えていく物語です。


 それではまた・・・・。

きょうも楽しい一日をお過ごし下さい。







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