みなさん、こんにちは!

本日の物語の部分公開は、

昨日に引き続き、

「青い眼をもった木」からです。

13章の「行者の大鷲の巻 ~悟りとは?のお話~」

の一節を公開しますね。

と、その前に・・・・。

みなさん、「悟り」と聞くと、

何を思い浮かべられるでしょうか?

いろいろと想定しながら、

読み進めてみて下さいね。

それでは、

はじまり、はじまり───。



木はその大鷲の様子を見て

言葉を続けました。

「まずは修行も悟りも大切だが、

一番肝心なことは

その悟りに執着してはいけない

ということなのですぞ。

執着は最も忌むべきこと。

それから……、

貴殿は悟り自体を

修行の到達目標

にしてはおらんだろうか。

悟りというのは・・・、

到達目標ではない。

悟りまでが

上りの往(い)き道、

悟ってから後が

下りの復(かえ)り道

というような折り返し点でもないのです。

悟りは際限の無いもの()


 大鷲はいままで

ひたすら悟りを目標に

ここまで難行苦行をしてきたのです。

いきなり

それが見当違いであると言われて、

大鷲はただただ驚き、

そして聞き返しました。


「では悟りというのが

到達目標でないならば、

それは一体何なのでございますか」


 木は言葉を選びながら、

丁寧に答えました。


「悟りとは・・・、

どこまでも自分を無にして

尽くそうとする、

その念願を実現していく過程の、

ほんの一里塚というもの」


 そして木の

大鷲の心の中を

よくよく見ていたのでしょう。


「とかく我々は、

完成されたものごとや、

見事に出来上がったものだけに

価値を感じたり、

またそういうものを求めたりしがちだが……。

しかし途中までのもの、

間違いのものも、

実はそのまま、

いきいきと連なっている

いのちのはたらきなのです。

つまりもっと言うと・・・、

無限の過程にあるものこそ貴い、ということ」


 大鷲は何やら、

感じるものがあったのでしょう。


「実にいままで

聞いたことも考えたこともない

悟りというものの一面について、

私目、大層驚いてございます。

しかし言われてみれば

なるほどとも思えるから、

不思議でございます。

それにあんなにがむしゃらになって

修行していた自分の姿が、

少し客観的に

見えるようになったかも知れませぬ。

しかし、しかし……、

では一体私はこの後、

どうすればよろしいので……?」


本日の物語の部分公開は、

ここまでです。

皆さん、この「青い眼をもった木」という物語には

今日のような「悟りとは?」というお話や、

そもそも「仏とは何か?」とか、

それ以外にも

「いのちの法則」のお話、

その他、「時間と空間」のお話などが

出てきます。

大切なことがたくさん盛り込まれていますし、

ちょっと聞いたことのないような

貴重な言葉もたくさん出てきますので、

よろしければ

これからもご愛読の程、

お願いいたしますね!


ところで、本日の物語の部分公開の最後、

大鷲が、青い眼をもった木に

「この後、私は一体どうすればよろしいので・・・?」

と聞いた後、

さて、青い眼をもった木はどのようなことを

大鷲に助言したのでしょうかね?

みなさん、頭をめぐらせてみて下さいね。

ではまた!




書籍「青い眼をもった木」

http://miki-kikkawa.com/books/book2.html