みなさん、こんにちは。今日も少し「青い眼をもった木」の2巻目、「木が見た夢」の解説をしてみたいと思います。 

 2巻目は、不思議な青い眼をもった木が新月になる度に見た、8つの夢のお話で構成されていることは、以前に書きました。その新月の夜の夢には、毎回阿弥陀さまが現れ、阿弥陀さまが青い眼をもった木に様々なメッセージを託して行かれるのですね。青い眼をもった木は不思議なちからを発揮して、宇宙中の生き物たちに阿弥陀さまからの大切なメッセージを伝えてゆく、そのような内容の物語です。
 さて、この2巻目は、世界中の中で日本において最高の開花を見たとされる浄土思想をもとに展開しています。(私はこの日本において最高の開花を見たということを、鈴木大拙博士と柳宗悦氏の著書で知ったのですが・・・。)

 私は、物語の中で、浄土的な考え方を主に下記の3つに分類して著してみました。
①私たちと仏の関係性

②私たちがいかなる状態の時に、仏が最も私たちにはたらきやすいのか

③神仏と共に、自他融合の新しい世紀に向かって、いかにいのちを自在に輝かせるか

 (ここで言う「仏」とは、亡くなった人のことではなくて、人間はじめ、すべての生き物の中ではたらいている「何ものとしか言いようのない摩訶不思議で貴いちから」のことを表現したものです。)

 つまり、この2巻目では、私たちが自分自身の中に生まれながらにもっている、最高に貴いちから(私たちの中にある仏)をいかに発揮して輝かせるか、について書いているのですね。逆にどういう時に、この貴いちからを私たちは封じ込めてしまうのか、についても書いています。

 物語では、①余計な思い煩いや、はかりごと等が無い時、②一切のことを神仏に託している時、③何かに無心に取り組んでいる時、このような時に、私たちの中で仏が最大限にはたらく、と私は記述しています。つまり、心が真空の時、からっぽの時、無心なる時、無我の時に、私たちの中にある最高に貴いものがちからを発揮し出す、最大限にはたらき出し、私たちは最高に輝くのだと結論付けています。さらに、このような瞬間を、私は「自在」と表現しました。

 どなたにも、きっと無心で何かに夢中で取り組んで、自分の限界と思っていたものを超えた、自身の高みを超えた、と思われたような経験はあると思うのですね。「自在への道」を模索するささやかな試みの本書を、これから迎える実りの秋、ご自身を再び最大限輝かせる挑戦に結び付けて頂きたいと思います。 





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