まだまだ暑いですね。
先日、ずっと続けてきたことを
終わらせる出来事がありました。
きっかけは、あることについて
「誤解」されたからなんですが
そもそも誤解ってお互いの認識の違いのこと。そう考えると毎日は誤解の連続であるかもしれないですね。
認識のすり合わせをわざわざしないし
会話がなければ気づかない…。
今回は
わたしの信条
「約束は守る」「信頼を裏切らない」(遺伝子40無意識太陽持ち:マイダンジョンカード )
についての誤解だったので
相当感情が揺さぶられました。
簡単に言えばこの誤解に
"嘘つきって言われたー!"と
胸のあたりで誰か暴れてるんです。
(お相手はそんなこと言ってませんよ。事実認識がわたしと違うだけ)
感情を溜めるとカラダに染み込んで
内臓に影響が出てしまうので、
ここは感じたら、すぐ解放!が得策。
紙に書いて
"うんうん、わかるわかる。嫌だったね〜。そんなんじゃないのにね" と
ひと通り、内なる気持ちを聞いて
過去にも同じようなことあったっけ?と記憶の海へ潜る。
そして落ち着いたところで
もっと俯瞰して別の見方をすると
これ、いつまでも自分で区切りをつけられないわたしへの
「もうそこにいなくていいよ♫」
のメッセージでは?
そこから離れるための、わたしの内からの現象化なのでは?
そう思ったら途端に手放せた!
誤解を解こうとする必要もないなと。
わたしのした事に
わたしのなかでは矛盾はないし
誰かが傷ついたわけでもない。
もっと言うと
見えないところではお互いの合意の上でのことなんだろうなぁと納得できた。
その見方が正しいかどうかはわからないけれど、
わたしがその解釈でご機嫌な状態に戻れたからそれでいいのだなと。
始めちゃうと終われない。
「継続は力なり」が子どものころから染みてる。止めるタイミングがわからない、わたしのひとつのパターンですね、きっと。
こういうことって世間でもよくあるんじゃないかな?
そのときは
感情への対応はすぐして
自分の本音を見て(そこにいることは執着か 喜びか)
区切りのキッカケにしてくのが
平和への道だね