母の診察後、すぐに先生に呼ばれました。
 
「近い家族のかたは、他におられますか?」
 
「弟がいますが、住んでいるところは遠いです。今一緒にいるのは私だけです」
 
「そうですか。お母さんは、子宮がんです。かなり進行していると思われます。大きな病院に紹介状を書きますので、すぐに行っていただけますか。手術が必要になると思います」
 
 
妙に落ち着いている私がいました。
もう病気にも手術にも病院にも看病にも、慣れてしまっていたんでしょうか。
 
確か先生と相談して、「子宮頸がんの初期」だと母に伝えた覚えがあります。
本当は、子宮がんのステージⅢでした。
 
通院の付き添いも、入院手続きも、もちろん看病も、すべて1人でやらないといけないのが目に見えていたので、自分が真っ暗のトンネルに向かって入っていくイメージでした。
 
弟にも一応、電話で伝えましたが、「おかんのことは頼むわ」の一言で終わり。
実の息子でも、こんなもんです。
 
このとき、私は30歳。
まる2年間のトンネル生活の始まりでした。
 
 
つづく。