母の診断結果を聞いて、家族で何度も何度も話し合いました。
最初はみんな受け入れられないので、義父を始め泣いてばかりでしたが、義母(お姑さん)に悟られてはいけないと、義母の前では明るく振る舞っていたのを覚えています。

 


話し合いの結果、義母には告知しないということ。
脳に腫瘍ができていることは話すけれども、小さいもので手術すれば治る、という伝え方をしたと思います。
前向きな義母なので、素直に聞き入れて、手術の準備をしてくれていました。

 


私は、義母がそれだけしか生きられないのなら、仕事を辞めて看病に専念したいと義父に言いました。
でも仕事が大好きな私が仕事を辞めたら、お義母さんが「重い病気かも」と怪しむから、いつも通り仕事をして、時々病院に来てくれればいいと義父に言われ、そうすることに。

入院から手術まで、それほど日はあいていなかったと思います。
頭蓋骨を開く手術なので、手術時間も長く、慎重な手術になるので、万が一のことも覚悟していてくださいと言われ、みんな緊張していました。

どれくらいの時間がかかったのかは忘れましたが、一応手術は成功し、あとは放射線治療に頼るという流れだったと思います。
腫瘍が大きく、言語中枢に近かったため、すべては取りきれないことも言われていたので、実際のところ、どれだけ義母が回復するのか、家族にもよくわかっていませんでした。
病院の先生に頼るしかなかったんですね。

 


ここから、義母の看病生活が始まりました。


つづく。