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ライター・みけっちの、これからどうなるの?

偏差値40以下→早稲田政経→うつ病・・・
ひねくれ者が急激なアップダウンを経験した後の記録です

こんにちは!

高校野球ウォッチャーのみけっちです。

 

 

明日はわが町新潟代表・日本文理。

明後日はわが故郷埼玉代表・花咲徳栄。

 

 

わくわくドキドキが

今から始まっています。

 

 

どっちも頑張れー!

 

 

ところでその野球ですが、

自分で驚いてしまったことがありました。

 

 

何かというと、

「昔やったことって、

 体はめっちゃ覚えてるんだな」

ということ。

 

 

先週の草野球でのことです。

 

 

試合で私はセカンドを守っていたんですが、

3度ゲッツーを狙うシーンが

出たんです。

 

 

2度は私が、

ゴロを捕球したショート or サードからの

送球をセカンドで受け、

すぐファーストに投げたシーン。

 

 

1度は私がベース付近で緩いゴロを

とってセカンドベースを踏み、

すぐファーストに投げたシーン。

 

 

なんと3度とも、

ファーストの胸元にきれいな送球ができて

しまったではありませんか。

 

 

ゲッツーは早く投げないと、

2つアウトは取れません。

(相当打球が早ければ例外ですが)

 

 

普通のキャッチボールのように

ボールを投げる相手を

ちゃんと狙って投げるというよりは、

 

とにかく早く投げることが

求められます。

(それでも暴投してしまったら大失敗)

 

 

実は私、

30を過ぎて草野球をするまで、

15、6年は野球を全くしていなかったんです。

 

 

野球は中学校まででしたので。

 

 

草野球を始めてからはゲッツーの

練習をすることもありましたが、

昔に比べたらお遊びみたいなもんです。

 

 

15、6年も全くご無沙汰していたのに、

そういうとっさのプレーがきれいに

できてしまったことに驚きました。

 

 

もちろんプロじゃないですから、

細かいこと言えば完ぺきではないです。

 

 

でも昔は何回もやったこういったことを、

何年たっても体は覚えていたんでしょう。

 

 

・標準的なバッターランナーの足の速さ

・1塁までの距離感

・取って横方向に送球する体の使い方

 

 

守備はよかったですが、

今年は全然打ててませんけどね・・・

 

 

で、体は時に、

過去のことをビックリするくらい

覚えているんだなという話でしたが、

 

頭の中にある記憶って、

どうなんでしょうか?

 

 

またアドラーです。

 

青年 ……われわれは自らの生を選び、自らの過去を選ぶ、と?

哲人 ええ。いかなる人間も、順風満帆な人生を歩むわけではないでしょう。誰にだって、悲しい出来事もあれば挫折もあり、歯噛みするほど悔しい仕打ちにも遭っている。それでは、どうして過去に起きた悲劇を「教訓」や「思い出」として語る人もいれば、いまだその出来事に縛られ、不可侵のトラウマとしている人がいるのか?

 これは過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。あえて厳しい言い方をするなら、悲劇という安酒に酔い、不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしているのです。

岸見一郎 古賀史健、『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ』、ダイヤモンド社、2016、p69-70

 

 

なんだか難しいことを書いているようですが

簡単に言うと、

「過去は、今の自分が選択しているものだ」

となるでしょうか。

 

 

例えば今の自分の頭の中は、

「辛く、苦しい」だとする。

 

 

すると、

「なぜ、辛く苦しいのか」というように、

「辛く、苦しい過去」を今、

必要とする。

 

 

こうしてさらに頭は、

「辛く、苦しい」につながりそうな

過去だけを選択し、

 

それに「辛く、苦しかった」という

意味付けをして、自らの記憶とする。

 

 

だいたいこんな感じかと思います。

 

 

大事なことは、

「過去があって、今があるんじゃない」

ということでしょうか。

 

 

厳密には過去なんてなくて、

今の自分が頭の中で思い出したことに、

苦しいとか、逆に楽しいとか

意味づけをしているに過ぎない。

 

 

もっと後の部分で、

人が選ぶべきは

「『これからどうするか』しかない」

ということも書いてありました。

 

 

その通りのように思います。

 

 

今日も、

どうもありがとうございました。