大韓民国 ウォン
大韓民国ウォンは、大韓民国の通貨単位。韓国中央銀行である韓国銀行が発行する。製造は韓国造幣公社が行っている。2002年のサッカーワールドカップを機に規制緩和され、それまで韓国系銀行に限られていた日本国内での両替が、郵便局や一部の銀行、両替所等でも可能となった。日本では、多くの外国硬貨と同様に硬貨が両替不可能(一部業者を除く)である。また、日本で両替を行うと、韓国で両替を行うよりも顧客にかなり不利なレートになるのが通例である。「ウォン」は「圓(円)」の朝鮮語読みだが、公式には漢字表記をしない。一方、「元」も朝鮮語読みでは「ウォン」となるが、漢字圏の人を相手にする人たちの間でまれに、ウォンを「元」と漢字表記するケースも見られる。ちなみに韓国では、日本円はハングルで「엔」(エン)と表記し、また中華人民共和国の元は「위안」(ウィアン、[yan]→[wian])と表記する。一方、中国語圏では韓国ウォンを、繁体字では「韓圓」または「韓元」、簡体字では「韩圆」または「韩元」と表記する。1961年5月16日に起こった5・16軍事クーデターで第二共和国は倒され、朴正熙少将が権力を握る国家再建最高会議(軍事政権)が誕生した。この政権は経済再建と経済開発を優先し、翌1962年には第一次五ヵ年計画と通貨改革を実行に移した。1962年6月9日に新たな大韓民国ウォンが登場、1ウォンは10ファンと交換され1ドル=125ウォンに固定された(第3次緊急通貨措置)。補助貨幣はチョン(英語表記は「jeon」に改められた)であり1ウォンは100チョンとなったが、今日チョンが実際に使われることはない。この通貨改革によりようやくインフレーションは緩やかになった。1970年代前半は石油ショックの影響もあり1972年と1974年にウォンが切り下げられた。1980年1月12日には1ドル=580ウォンとなったが、同年2月27日には変動相場制への移行が始まった。アジア通貨危機の最中の1997年12月24日、国際通貨基金(IMF)との合意により完全変動相場制へと移ったが[5]、その後ウォンのドルに対する価値はわずかな間に半分に落ち込んでいる。2006年から2007年にかけて新デザインによる新紙幣が導入された。偽造防止のための新技術が盛り込まれ、サイズが小さくなった。長年似通っていた図柄を現代風に改め、紙幣の色彩が鮮やかになり、額面の文字と数字が大きな字で明るくはっきり見えるようになった。 新シリーズは額面によって様々な偽造防止技術が導入されている[6]。50,000ウォン紙幣は22種、10,000ウォン紙幣は21種、5,000ウォン紙幣は17種、1,000ウォン紙幣は19種の偽造防止技術が入っている。偽造防止技術の例は下記の通り。長らく最高額紙幣が10,000ウォン(800円・8USドル程度の価値)であったため、決済時に不便をもたらしていた。このため国民の間では、自己宛手票(チャギアプスピョ)略して手票(スピョ・日本語で小切手)やクレジットカードの使用頻度が高い。デノミネーション論や高額紙幣発行論がしばしば取りざたされていたが、「インフレ圧力になる」との批判が根強く、具体化に至っていなかった。しかしながら、自己宛手票流通に掛かるコストや、偽造小切手問題などから、2006年初頭より、韓国政府は100,000ウォン札を発行する方針で具体的な検討に入り、2007年5月2日、韓国銀行が2009年上半期を目処に100,000ウォンと50,000ウォン紙幣を発行する事を正式発表した。しかし、100,000ウォン紙幣の図案に関して論議が起き(裏面の朝鮮半島の古地図・大東輿地図に、本来描かれていなかった独島(竹島)を記載するか否かの問題もあったが、表面の肖像に予定されていた独立指導者の金九に関して、南北統一政府を主張して李承晩らと確執を繰り広げたことから最高額面の紙幣にふさわしい人物かどうかが保守派から提起され激論となったことが大きい)、2009年1月22日、韓国銀行は100,000ウォン紙幣発行推進計画を中止すると発表。50,000ウォン紙幣は予定通り2009年6月23日に発行された。ただ、50,000ウォン紙幣も日本円4,000円弱程度の価値(発行当時)でしかなく、今後再び100,000ウォン紙幣の発行論議が再燃する可能性がある。公式にはペッグ制は採用していない。90年代後半以降、ドルや円に対して大きく変動してきている。アジア通貨危機の克服以降、1円 ≒ 10ウォン程度で安定して推移していた。2005年頃から急激なウォン高が始まり、2007年時点では約7.5ウォン近辺、その後の円高ドル安傾向もあって8ウォン台で推移していた。しかし2008年には1円 = 10ウォンの大台を突破した。同年9月末には世界金融危機の影響から、韓国通貨危機が発生、12ウォン越えをし大幅なウォン安が起き、10月7日にはついに13ウォンを突破。その後は乱高下を繰り返しながら通貨危機当時の1円 = 14.85ウォン水準に日に日に近付いていたが、10月27日には売値・買値ともに15ウォンを突破し、さらに12月5日には一時的ながら16ウォンにまで達し、2009年2月20日には再び16ウォン台に突入、対円での史上最安値を更新した。その後は通貨危機前の水準に戻しつつある。500ウォン硬貨は日本の旧500円硬貨と比べて、重量が少し重いことを除き、材質・形状が極めて類似していた。500ウォンは日本円でおよそ50円程度(1999年当時)の価値である。このため、1999年頃から、ドリルでくぼみをつけて重量を合わせるなどの加工がなされた変造500ウォン硬貨が、大量に韓国国内から日本国内に運び込まれ、日本全国の自動販売機や両替機などで使用された。摘発された主な事件には、次のようなものがある。1999年6月に、不法滞在の中国人の男3人と日本人の男1人が、日本各地の自動販売機で変造500ウォン硬貨を使用していた容疑で、富山県で逮捕された。男らが用いていた自動車から、変造500ウォン硬貨約2000枚が発見され、押収された。当初は自動販売機の識別機能強化による対応が試みられたが、まさにいたちごっこの状態となり、自動販売機での500円硬貨の受入れを中止する動きが広まった。結局、2000年に、日本の造幣局は、抜本的な対策のため、材質を変更した上で偽造防止対策を施した新500円硬貨を発行した。また、自動販売機の多くで新500円硬貨のみ対応の自動販売機に 切り替わった。その結果、日本国内の自動販売機荒らしの発生件数は、2000年の6706件から2001年には1061件まで減少した#大韓民国ウォン, #両替