来年、あの大嶋利佳先生と共に本を出版する予定でいます。
実は、この夏に子宮ガンである事が分かりました。
前々からそんな予感はしていたんです。昨年の全日本の時も大量出血でトイレから出られない状態で。試合どころではありませんでした。
その後も不正出血は止まらず、病院で検査をしてもらった結果は「陽性」でした。
陽性の検査結果の紙をもらい、駐車場に戻ると、まず最初に電話をしたのは
生命保険会社(笑)
いつもお世話になってる保険レディーのYさん、すぐ対応して頂きまして、ありがとうござます。
しばらくジッと紙を見て、今後の対応をあれこれ考え、車を出しました。
まだ陽性としか出てませんでしたが、まあ、この先どんな状況になるのかは、6年も医学を勉強してれば当然分かるわけですよ(笑)
車を走らせながら、ラジオを聴いていると、この日に何故か宇多田ヒカルの真夏の通り雨がかかりました。
先年、ビルから飛び降りて自死された実母 である藤圭子に捧げる、復帰後に最初に書き下ろした曲です。
越えたいと思っていた母。
聞きたいことがたくさんあった母。
こうして、もしやの人生に最悪終止符が打たれるとも限らない状況になった時、最初に思うのはやはり子供です。
母は一体どんな人生を歩み、何を残そうとしていたのか。
そして、私は何を残そうとしていたのか。
10年以上も続けてきたブログは、もしかしたら、この日のために書いてきたのかもしれない。
空手を続ける事に迷った時、心折れそうになった時、こんな人がいたんだと、顔を上げるきっかけになってもらえたら。
そんな思いで始めたブログ。
「女子の試合なんかオマケだろ!」
と言い捨てられた15年前の冬。
そんなオマケの試合のために、何回骨折して、何回病院のお世話になったか。
と聞かれて
「将来世界大会に行ってロシア人と戦うためです。」
と言い切ったオレンジ帯。
あれから15年の歳月を経て、本当にロシア人と戦って世界大会の表彰台に立った。
何もかもかなぐり捨てて、何のために全力疾走してきたのか?
こんな所に書かれるまで、何に取り憑かれて全力疾走して来たのか。
それを振り返るために、今ここで病気になったんではないか。
家に着いた後、しばらく考えて、自分の長いブログを読み返し、大嶋利佳先生にメールを送りました。
様々な事情も含めてお話しさせていただきましたら、
これを機に本を出版しましょう!
となりました。
本を出す😳
そこまで考えていなかったので、正直驚きましたが、これも時期なのかもしれないな、と思いました。
これから先の私の人生は、今までと全く違うものになる。
本当にありがとうございます。
私を支えて下さった全ての人に感謝しつつ、今年を締めくくりたいと思います。
来年の5月に発売する予定でおります。
何卒よろしくお願い申し上げます。
押忍