これまでの推移(5) FOLFIRINOX 2回目 | 三毛猫の膵臓癌から逃避したいブログ 

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2013年11月 膵癌の診断 47歳男 人生絶望 なにもやる気しない 座して死を待つのみ 俺はどうしたらいいんだ! 誰か助けてくれ!

■2014年2月


前回、副作用がきつかったので、薬を少し減量してもらう。

イリノテカンによると考えられる下痢が激しかったので、体表面積1平方メートルあたり180mgのところを150mgの割合で減量。

フルオロウラシルの急速静注は省略した。


1日目。

イリノテカンによるコリン作用対策で、吐き気止めとともに硫酸アトロピンをあらかじめ点滴する。

今回はCVポートを使ったので、オキサリプラチンによる腕、手先のしびれはすぐには出なかった。

イリノテカンに移ると、やはり今回もコリン作用があらわれた。

鼻水、発汗があらわれた。1回目よりひどかった。

病衣、ふとんまで汗でぐっしょり濡れてしまったので、交換する。

硫酸アトロピン追加点滴するとすぐに治まった。

早発性の下痢は今回あらわれなかった。

フルオロウラシルの持続静注は、今回携帯ポンプで行った。

外来通院で、2日目3日目が家でできるよう、円筒状の筒のなかに納めたゴム風船の収縮力により、点滴できるようにした装置である。

夜、ムカムカする。

のどの奥が腫れてるような感じがし、味覚がおかしくなった。

冷蔵庫の冷たいジュースを右手にもつとしびれた。オキサリプラチンによる末梢神経麻痺が出たものと考えられる。手袋を使うことにした。


2日目。

激しい倦怠感。前回は3,4日目に倦怠感が激しかったが、今回は1日前倒しの感じである。

ムカムカする。

食欲不振。バナナ、リンゴ程度しか食べられない。

右手のしびれが顕著。

脱毛が目立ってきた。これは1回目の副作用が今頃効いているのだろうと医師に言われた。


3日目。

激しい倦怠感。ベットから起きられず、看護師の問いかけに返事すらできなくなる。

食欲不振。バナナ、リンゴしか食えず。

絶対、FOLFIRINOXなんか2度とやるものかと思う。


4日目。

口内炎があらわれる。これも前回より1日前倒し。

食欲不振ながら、少しは食べられるようになる。バナナのほか、カップやきそば、いかみりん数枚。


5日目。

食欲はやや回復。サンドイッチ、ゼリー、いかみりん、リンゴ、ビーフシチューの肉2片。

遅発性の下痢が始まる。水便3回。


6日目。

食欲は回復。買ってきてもらった、SUBWAYのチーズローストチキンを食う。

下痢。


7日目。

下痢。水便4回。昨日食べたSUBWAYのチキンがほとんど未消化で出てくる。

腹がぎゅるぎゅる言う。飲んだり食べたりすると腸が反応してトイレに行きたくなる。

食欲はある。昼飯に助六寿司(いなり3個、巻き3個)たべる。

調子に乗って、晩飯に、1階の食堂でラーメンを食った。胃にもたれて苦しい。後悔する。


8日目。

この日は下痢が治まっていて、固形便がでた。

食欲旺盛。持ち込みの、バナナ、イチゴ、焼き鳥、フジッコの煮豆、SUBWAYのサンドイッチなどを食べる。

病院食はほとんど食べない。味が薄い。味覚障害があるのかおいしく感じられない。外食やインスタント食品の味の濃いものが食べやすい。


9日目。

口内炎。

調子に乗って、焼きそばUFOと焼きそばパン (焼きそば重複しすぎ) を食う。

食べすぎで胃が痛くなった。

なぜか、この日、怒濤の下痢。水便9回。進撃の下痢。


10日目。

下痢傾向は続く。水便4回。

CTスキャン。

夜、衝撃の説明をうける。

原発膵癌は45mmであまり変わらず。

肝臓に20mmの転移あり。前回のCTの結果をもう一度見ると、すでに転移があり、今回大きくなっている。

腹膜に5~8mmの転移3個あることが新たにわかった。

肺に炎症か腫瘍かわからない影があり、これは前回から縮小している。


切除不能の膵癌で、転移有り。ステージIVb。

見まがう事なき末期癌。

がーん。(だじゃれじゃないぞ!泣)


フォルフィリノックスは、すごい効いてる訳ではないが、効いてない無いわけでもないという判定。

複数腫瘍の長径の和の増大が20%以下であるから。

効いてないこともないから、フォルフィリノックスの3回目を実施してもよいし、

副作用がイヤなら、ジェムザールに変えてもよいとの医師のアドバイスがあった。


私の気持ちは、半々であった。次回までにどちらにするか決断することになった。


11日目。

下痢がつづく。水便4回。


12日目。

退院。

約1ヶ月かかり、フォルフィリノックスを2回実施して、副作用の出方を把握した。

あとは、通院による治療となる。

12月初旬に入院し、3月初旬になってしまった。

入院は3ヶ月にもなってしまった。長かった。

入院前前は、体重が74kgあり、ファミレスでハンバーグステーキを食っていたのに

今は手足の筋肉がそげ落ち、59kgにやせてしまい、メシもあまり食えなくなってしまった。

3ヶ月の間にボロボロに体力消耗してしまった。

病院に長くいればいるほど、病人になってしまう。


退院をしたものの、

根本治療をしたわけではなく、今後、よくて現状維持で、たぶん徐々に悪くなっていくと予想される。

ほっぽり出されてしまったような、さびしい気持ちになる。

医師、看護師に親切にしていただいたが、所詮私も何十人、何百人いる患者の一人。ワンノブゼム。

あとは一人で戦っていくしかない。ただし、その先にあるのは確実な死。

入院ののち、保険の効く通院治療をおこない、そのうち抗ガン剤も効かなくなり、治療は終了してほっぽり出される。そして緩和治療のみになる。免疫療法やサプリメント、食餌療法にすがる人も多いが、あんまり効いているエビデンスはない。抗ガン剤が効かないのに、にんじんジュースが効くとは思えない。

太平洋のど真ん中で、小舟一艘でほっぽり出されたような気分だ。

僕は何処にむかって漕いでいけばよいのだろう。


22日目。

フォルフィリノックス3回目の予定日がやってきた。

病院で血液検査を行う。

ここでフォルフィリノックスの恐ろしさを再認識する。

ここにきて、骨髄抑制がついにあらわれた。好中球が大幅に減っていた。600個ぐらいしかない。感染すると命に関わる危険な状態。

肝臓の数値、AST,ALTも150位に大幅に上昇。

抗ガン剤治療を行える状態ではないと判定される。


僕は敗れ去りました。フォルフィリノックスに負けました。

(これに耐えられる日本人て、あんまりいないのではないかと思うが・・)


好中球の回復を待ち、次はジェムザールにした方がよいだろうとのアドバイスを医師からもらった。

異存はない。

フォルフィリノックスに負けた悲しさと、フォルフィリノックスから解放されるうれしさが半々であった。