どうも。
改めまして私
『柴田みゆき』
みんなには
『みいげ』と呼んでもらってますニコニコ


現在の私↑45歳(すましてますwww)


4人の子供を産み落としました
上から、23,21,19,13歳
男男女女です笑笑
うまい具合に産みました(笑)
そして現在、孫1人祖母ですデレデレ

21歳で結婚 
42歳で離婚

さてさて
なぜ『みいげ』と言うのか?
それは、中学生の時の部活で
をつけて呼ぶのが流行ったからwwwニヤニヤ

その当時
みぃちゃんと呼ばれていた私は
その頃から
『みいげ』と呼ばれるようになったのです笑笑

ただそれだけなのですニヤニヤ
すみませんね
なんか凄い意味とか無くて笑笑

でも
覚えやすくて
慣れると呼びやすいのですニヤニヤ


その頃の私は
超超超頑張る教でした


なんてったって
陸上部の中長距離が専門でしたからね真顔
中長距離とは、
800m、1500mとかを全力で走る競技です走る人

私もなかなか頑張っていて
市内ではだいたい3位までには入る感じでした

だってなんせ
負けず嫌いでしたから真顔

勉強もそれなりに頑張ってました

実は小学生の頃は勉強が苦手で
よくできるがほとんどなくて
ほとんどができるって言う普通な感じでした

周りの友達は頭が良くて
私のは取り柄は体力しか無いって思っていたから
体育関係で負けるなんて
私の取り柄がなくなるぐらいのことでした

しかーし!私より凄い人はなんぼでもおったーチーン

その頃の私は
ほんとに何にも無いんだなぁって思ってた

勉強も必死に頑張って
部活も頑張って
どっちも中の上だったのに
何にも無いなって思ってた

わたしには同い年のいとこが居て
彼女はいつも私の上を行っていたからかもしれないし
彼女のお父さん(要するに伯父)から
『みーちゃんは可愛くないなぁ』と言われていたからかもしれない
(父との確執があったらしい)

私は
可愛くないし、勉強も部活も彼女には敵わない
後から思えば
周りと比べるなら
いくらでも、自分より下の人はいただろうに
わたしは、その時
彼女と比べることが
私の狭い狭い世界だった


小さい頃から
父のアルコール依存症で
親戚からの目が怖かったから余計にそういう風にしか考えられなかったのかもしれない


そうやって、わたしは
いつからか
凄いね!って言われることを求めるようになっていた

でも、わたしは凄いことがない。
いつもわたしの周りには凄い人がいてる

だから誰よりも頑張らなくちゃいけない
頑張っている私が凄い
頑張れる私が凄い
人よりも何倍も頑張れる私、凄い!
ってなっちゃったんです


だから、いっぱい頑張ってきた
子育ても、嫁も頑張ってた

その反面、ずっと
逃げてきたと思っていた

比べられるのが嫌で、いとこから逃げ
アルコール依存症のお父さんから逃げ
旦那さんと解り合う事から逃げ
子供達と向き合う事から逃げてきた
仕事を転々としたことも逃げだと思ってきた

逃げている自分が嫌で嫌でしょうがなかった

3年前
そんな頑張る自分も
逃げている自分も嫌になって
大切な人からも裏切られて
どん底で動けなくなってしまった
ご飯が喉を通らない
電車に乗るとパニックになる
駅に着いた時には過呼吸で動けない

もう死にたいと。毎日思っていた。
そんな日々の中でも
子供たちの存在が私を立ち直らせてくれた
なんとか生きなきゃ
立ち直らなきゃって思わせてくれた   

そんな時に見つけたのが
心屋仁之助さんのブログだった

『やりたいことをやったらいい』
『誰になんと言われようと』

その時に
私は自分の意思で
自分のしたいようにしよう
自分の気持ちを優先させよう
と、決めたのです

そこから、心屋の
オープンカウンセリング
初級セミナー
そして、心屋マスターコースと
あっという間に決断していました

そこで出逢った
マスターコース講師のうさこに
『よく逃げたねぇ』と言われた時
涙が止まりませんでした

わたしは
逃げてきたわたしを責め続けていたって気づいたんです
そんな自分を許せずに生きてきたけれど
もう、許しであげてもいい
私がわたしを許す
と決めました

そこから
どんどん変化していきました

いつも人のために
誰かのために
誰かを優先して
わたしは後回しでいいの
わたしは残り物でいいの
なんて言ってた私が
私を優先して生きるとは
こんなにも難しいんだ
と、同時に
こんなにもわたしを後回しにしていたんだ
と、気づかされました


私が満たされない原因は
私が私のことを愛していなかったから 
私が私のことを大切にしていなかったからだと。

それからは毎日が
人体実験でしたニヒヒ

今まで
やりたいのにやってなかったこと
やりたくないのにやめられなかったこと
コレをいっぱいしてきました
ほんとに小さいことから
コレをするには怖いことも
損をすることもありました
それでも、やってみたら大丈夫だった
何回もやって
何回も大丈夫なんだって知っていった

その間に末娘が不登校になったり
私自身二股かけられたり
お金がなくなったり
落ち込んだり
いろんなことがあったけど
大丈夫だった

その反面多くの仲間に恵まれて
大好きな人と仲良くなれたり
可愛がってもらえたり


そして今現在
とてもとても心が満たされている
 
わたしはずっと
大成功するって
凄い人になることだと思ってた

凄いカウンセラーになって
お金もドンドン入って  
みんなからチヤホヤされる
それが幸せで凄いことだと思ってたけど

もちろんそれも嬉しいけれど
今は
今が幸せだなぁって満たされることが
実は人が1番欲しいものなのじゃないかなぁ

そして
そんな満たされた今だからこそ
誰かを本気で想える
褒めてもらうためでも
凄い人になる為ではなくて
ただ
誰かのために何かをしたい


それがわたしにとっては
カウンセラーという仕事です

振り返ると
辛い出来事があったから
人の痛みがわかる

そして
喜び、幸せ
今の満たされているということもわかる


そんな風に思います



父のアルコール依存症
育児ノイローゼ
パニック症
離婚
不登校


今の世の中で言えば
マイナスだと言われることを経験したけれど
今のわたしにとっては
全てが今に繋がっていた

だからこそ
今のわたしがいてる。

そしてこれまでに出逢った人は
誰一人欠けてはならない
わたしに必要なら人達でした

生きる世界が変われば
付き合いがなくなることもあるけれど
それはしょうがないんだなぁと
受け入れていく

また新しい出逢いがあるのだからキラキラ


今のわたしと以前のわたしは
変わったようですが
同じ人です

以前の私があったから
今の私があるのです

私のように
誰かに認められたくて
誰かに褒めてほしくて
すごく頑張っている人に
もう少し楽に
もう少し楽しく生きることができる
そんな世界もあるんだよって
伝えていきたいと思っています


それが今の私です

2020年1月